阪神大震災時の対応の責任を村山首相に押し付ける系のデマの根深さを感じさせる件2

前回の記事にこういうブコメがつきまして。

“別に要請なしに自衛隊が部隊派遣しても違法ではない”そうね。でもその後の運用で師団長の首は飛ぶ。確実にね。そういうもんですよ、あの当時、いや今でもか。今は要請がすぐ届く時代だからね。
kingateのコメント2018/09/09 22:14

http://b.hatena.ne.jp/entry/370714169/comment/kingate

これも根強い都市伝説ですね。
まず「でもその後の運用で師団長の首は飛ぶ。確実にね」で「師団長」と書いていますが、そもそも事実誤認です。
阪神大震災で第3師団(師団長:浅井輝久)は要請なしに出動しています。
自衛隊法第83条3項の近傍派遣名目と言われていますが、別段これを理由とした処分は浅井第3師団長は受けてませんよね*1

実際に自主派遣された事例もあります。
1985年8月12日の日航機墜落事故では、レーダーから機影が消えた18時57分の4分後の19時01分に航空自衛隊がF4Eを発進させています。運輸省航空自衛隊に派遣要請を出したのはそれから1時間半後の20時33分です。
当時の第7航空団司令官は岩村昭良空将補ですが、1986年4月1日まで現職を勤めていますので、これも何らかの処分を受けたと言う形跡はありません。

自衛隊が自主的に災害対応しようとしたら左遷された”というのもよくあるデマ

御巣鷹山事故関連ではこういうデマもあります。

[87] 投稿者:元空挺 投稿日:2000/01/22(土) 06:18
この手の話ならあるよ。ちょっと古いけど。
 日航機墜落事件の時、現場を真っ先に確認していたのは米軍で、彼ら
は暗視装置をつけてヘリを飛ばし、その状況を自衛隊に連絡していた。
 その頃政府サイドは、現場の指揮権をどこが取るのかで揉めていた。
 当時の第一空挺団指令は、政府の命令を待たずに木更津のヘリ団に連
絡、出動を要請。現場に真っ先に到着し、4名の生存者の救出に繋がっ
た。ここまでは有名な話。だが、続きがある。
 この空挺団指令、転属と言う形で左遷された。理由は「政府からの命
令無視」。ここまでは、はっきり言ってよし(よくはないんだが)とし
よう。
 この際、ある政治家が口を挟んだ。
 「彼は国家の命令に逆らい、あるべき幹部としての姿を殺めた。
  今後この男は、謀反を起こす恐れがある。」

 ・・・、どうする?、国民のために独自の決断を出したとはいえ、4
名救って反逆者呼ばわりされたんだよ?
 結局、阪神大震災も変わらなかったってとこだと思うが。

http://www.joy.hi-ho.ne.jp/complement/mil/2ch/other/other02/disaster_1.html

第1空挺団が要請を待たずに自主派遣したことに対して政治の圧力で処分されたという都市伝説です。
当時の第1空挺団司令官は小林英雄一佐でしたが、日航機墜落事故の1年後まで現職を勤めた後、陸将補に昇進し第10師団副師団長に転属しています。「反逆者呼ばわりされ」て「左遷された」とは到底言いがたいですね。

ネット上にはびこるデマが根深いと思うのはこういうところです。
幾重にもわたってデマが蓄積されているため、一つのデマが指摘されても、他のデマにすがり付いて全体の認識を改めたりはしない。

以下で指摘されている通りでどうにもならんですね。

正しい情報を提示すれば、陰謀論やデマの拡散は抑えられるのか?

残念なことに、デマや陰謀論を信じる人々に、ただ“正しい情報”を提示するだけでは、彼らの信念を変えることは難しいという。それはなぜか? 情報の妥当性の判断には、個人の内面的な部分、つまり育った環境や経験が大きくかかわってくる。陰謀論者が信じる情報が内包する社会的価値観とは、個人のアイデンティティというコアな部分に触れるものであり、自分が生きるための指標としてきた「世界観」を揺るがす“事実”を、人は簡単には受け入れることができないからだ。

ゆえに、陰謀論者がSNS上で相反する情報を目にした場合、それらは無視されるか、自分の価値観を守るべく保守的になる。クアトロチョッキも、証拠に乏しい陰謀論やデマに信念を置き、その拡散に大きく関与する人たちは、認知的閉鎖(心が理解するキャパシティーに欠けていること)のなかにいる可能性があると論文にて示唆している。

https://wired.jp/2016/10/16/conspiracy-theory/

仮に「その後の運用で師団長の首は飛ぶ」から出動しなかったというならば

その師団長(というか中部方面総監)は目の前で死に瀕している国民よりも自らの首が大事だったってことになるわけで、余計問題視すべきでしょうにね。
まあ、自衛官といっても所詮公務員ですから震災直後の劫火に焼かれる市民の命よりも保身が大事と考えていても不思議ではありませんけどね。それこそ大日本帝国軍にはいくらでも先例を見ることが出来ますし。



*1:1995年3月に退官していますが、年齢は57歳で他の退官した師団長と変わりません。将・将補の定年は60歳ですが、一佐の定年が56歳なので師団長退任後に56歳を超えていて他の将官職に空きが無ければそのまま退官するのが普通なのかもしれません。

阪神大震災時の対応の責任を村山首相に押し付ける系のデマの根深さを感じさせる件

村山富市氏に対する木村幹氏の魔女狩り論理 - 法華狼の日記経由で知った以下のやり取り。
Kan Kimura (on DL) on Twitter: "村山さんが、震災で機能が麻痺していた兵庫県庁からの連絡を無為に待っていて、震災発生から4時間以上も、自衛隊の出動命令を出さなかったのは、厳然たる事実だと思いますが。… "
かつじあめ@呉鎮守府 on Twitter: "当時の法律だと都道県知事しか災害派遣を要請できなかったからと覚えています。それを踏まえ、法律が改正されたと覚えています。… "
Kan Kimura (on DL) on Twitter: "それは基礎の基礎です。県庁が壊滅している状態では不可能な制度ですので、非常時においては「派遣要請があったものと見做して」出動させる事は出来たと思います。内閣総理大臣は自衛隊の最高指揮官ですからね。その上で政治的責任を取れば良かったと考えています。… "
Kan Kimura (on DL) on Twitter: "因みにこの時には、実際には伊丹の第三師団は県の要請なしに動き出している訳で、それこそその活動に法的根拠はない。シビリアンコントロールの観点からも、自衛隊が痺れを切らして動き出すくらいなら、首相が責任を取るべきなんですよ。"

自衛隊派遣を命じなかった村山首相が悪い、の一辺倒ですが、色々勘違いしている様子。

別に要請なしに自衛隊が部隊派遣しても違法ではない

まず「伊丹の第三師団は県の要請なしに動き出している訳で、それこそその活動に法的根拠はない」と言ってますが、自衛隊側が実際に法的根拠として主張しているかは知りませんが*1自衛隊法第83条2項にはこういう規定があります。

第八十三条 都道府県知事その他政令で定める者は、天災地変その他の災害に際して、人命又は財産の保護のため必要があると認める場合には、部隊等の派遣を防衛大臣又はその指定する者に要請することができる。
2 防衛大臣又はその指定する者は、前項の要請があり、事態やむを得ないと認める場合には、部隊等を救援のため派遣することができる。ただし、天災地変その他の災害に際し、その事態に照らし特に緊急を要し、前項の要請を待ついとまがないと認められるときは、同項の要請を待たないで、部隊等を派遣することができる。
3 庁舎、営舎その他の防衛省の施設又はこれらの近傍に火災その他の災害が発生した場合においては、部隊等の長は、部隊等を派遣することができる。

http://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=329AC0000000165_20180413_430AC0000000013&openerCode=1

第83条2項の「ただし」以下に「天災地変その他の災害に際し、その事態に照らし特に緊急を要し、前項の要請を待ついとまがないと認められるときは、同項の要請を待たないで、部隊等を派遣することができる」と書かれていますね。
阪神大震災という「天変地変」に際し、県庁ともろくに連絡が取れないという「特に緊急を要」する状況ですから、当然「要請を待ついとまがない」と認めて、「防衛大臣又はその指定する者」は部隊を派遣することができたんですよね。この場合だと第3師団長が防衛庁長官*2の指定する者にあたります。

ちなみにこの条文は自衛隊法が成立した1954年当時から存在します*3。もちろん、当時は「防衛大臣」ではなく「長官」と記載されていますが。

「非常時においては「派遣要請があったものと見做して」出動させる事は出来た」とするなら、防衛庁長官の責任が一番重いんじゃないかな

防衛大臣又はその指定する者は、前項の要請があり、事態やむを得ないと認める場合には、部隊等を救援のため派遣することができる」の前提条件である「都道府県知事その他政令で定める者」による「要請」ですが、木村幹氏は「派遣要請があったものと見做して」出動させればよかったと言ってるわけですね。
でも仮に「派遣要請があったものと見做し」たとしても、部隊派遣を命じるのは防衛庁長官(及びその指定する者)ですよね。

ちなみに阪神大震災当時の防衛庁長官玉沢徳一郎という自民党議員です。左翼大嫌いと公言するめちゃくちゃタカ派の議員で、第三次世界大戦に備えて軍備増強すべきだとか主張していた玉沢防衛庁長官ですが、肝心の阪神大震災の時には自衛隊に部隊出動を命じることもできなかったヘタレです。

そして玉沢防衛庁長官防衛庁兵庫県南部地震災害対策本部」を設置したのは、1995年1月17日11時で、これは災害対策基本法に基づく「兵庫県南部地震非常災害対策本部」の設置よりも遅く、既に兵庫県知事から自衛隊の派遣要請が出た後です。

災害時には自衛隊は積極的に自主派遣すべしというのは、結構昔から言われている

1959年9月の伊勢湾台風では多くの犠牲者を出しましたが、その直後の1959年10月5日に社会党の受田新吉衆院議員(後に民社党)がこう国会で質問しています。

第032回国会 内閣委員会 第5号

昭和三十四年十月五日(月曜日)

○受田委員 加藤さんにちょっとお伺いしておきます。私このたびの名古屋を中心とした史上最大の台風の災害地を、三日がかりで視察して帰ったばかりでありますが、自衛隊災害派遣自衛隊法の八十三条にあります。この災害派遣に関して、私の視察を通じての私が持つ疑問に対する御見解を伺いたいと思います。せっかくこの自衛隊法がこういう規定を設けておりまして、海上あるいは陸上における災害派遣に関しての協力をして下さるようになっておるのでありますけれども、実際問題として今回の自衛隊の行動においては、なお幾多の非難をすべき個所がひそんでおると思うのです。それは災害派遣に関する第八十三条の2の規定の中に、緊急やむを得ない場合における府県知事の要請を待たないで出動する規定があるわけです。この規定はいかに利用されたのか。今回の災害は、まさしく午後七、八時ごろという、これから長い夜に入ろうという、時間的に暗やみの中に入るという時刻である。夜明けまでにはずいぶん時間がある。従ってまっ昼間であるならば、目標物などもはっきりして、避難の道もあるでありましょうが、まっ暗な暗黒の中で突如として大暴風雨にぶっかかったのでありますから、その惨状はもはや形容のしがたいものであることはおわかりいただけると思うのです。府県知事の要請を待つまでもなく、緊急を要して、その要請を待ついとまがないと認めたときに、その要請を待たないで部隊等を派遣するということに該当しておると思うのです。この措置はどういう御見解でおやりになったのか、お答えを願いたいと思います。

○加藤説明員 御説のごとく、自衛隊災害派遣につきましては、自衛隊法八十三条に規定があるわけでございます。この八十三条では、建前といたしまして都道府県知事その他政令で定める者の要請があってやる、それに応じて出動するということになっておるのであります。これはやはりその地方における災害の復旧、民生の安定等について全般的な責任を持ちます者の判断に基いて行動いたしますことが、自衛隊の行動を効果的にする、そごのないようにするという建前であると思うのでございます。お話のごとく、第二項に特別の場合が規定してございます。これはこの規定自体としても活用してよろしいのでございますが、今度のような全般的な非常に広い区域にわたりまする災害等の場合におきましては、自衛隊が独自の判断でどこへ出ていくということをきめくていくことが、効果的であるかどうかということにつきましては、私はなお研究を要するものがあると思うのでございます。非常に特定の地域だけでございまして、そこだけやればよいというような場合には、あるいはこの規定を発動してすぐに出ていくということもございましょう。しかし自衛隊が最も効果的に働くためには、どういうふうな任務とどういうふうな力をもってどういうふうに働いたらいいかというようなことを考えますと、やはり都道府県知事等の要請に基いて行動することがこの場合については適当だったと思います。

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/032/0388/main.html

まさに自衛隊法83条2項の規定を適用して自衛隊が自主派遣すべきだったのではないかと問うているわけですね。これに対して加藤陽三防衛庁参事官(防衛局長)は色々言い訳していますが、「第二項に特別の場合が規定してございます。これはこの規定自体としても活用してよろしいのでございますが」と適用できることは認めています。

その後、1983年にも同様のやり取りが国会で行われています。民社党中野寛成衆院議員による質問に江間清二防衛庁防衛局運用第一課長が答えた内容がこれです。

第100回国会 災害対策特別委員会 第3号

昭和五十八年十月十三日(木曜日)

○江間説明員 まず先に、私どもの方からお答えを申し上げます。
 自衛隊災害派遣につきましては、現在自衛隊法の八十三条に、天災地変その他の災害に際しまして都道府県知事等から災害派遣の要請がありました場合には、事態やむを得ないと認める場合には自衛隊の部隊等を派遣することができるという規定がございます。と同時に、同条におきまして、ただし、特に緊急を要し、要請を待ついとまがないと認めるときは、要請を待たずに部隊等を派遣することができるという規定がございます。これを私ども、自主派遣というふうに通称呼んでおります。実際に、具体的にどういう自主派遣の内容を考えておるのかという御質問かと思いますけれども、私どもは、たとえば被害状況の偵察でございますとかあるいは行方不明者、被害者の救出、あるいは航空救難といったような特に緊急を要するものについては、自主派遣というもので対応をいたしたいということを考えておりまして、従来もそういう方向で進んできております。
 具体的に復旧作業等の問題につきましては、これも自主派遣でやるべきではないかという考え方が一部にあるのかと思いますけれども、復旧作業の点につきましては、やはり関係省庁あるいは現地におきますところの災害対策本部との調整等を待って、効果的なその遂行ということを……(中野(寛)委員「復旧作業はいいです、むしろ救助等の問題です」と呼ぶ)特に緊急を要するということが前提でございますので、人命に特にかかわる場合というようなことについては自主派遣ということで対応できるというふうに考えております。
 以上でございます。

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/100/0500/main.html

1983年の時点で「人命に特にかかわる場合というようなことについては自主派遣ということで対応できる」と防衛庁自ら答えているにもかかわらず、1995年の阪神大震災では、派遣要請が無いから出動できませんでした、と言い訳しているんですよね。

こういう経緯が全く踏まえられずに、村山首相のせいで自衛隊を派遣できなかったというデマが20年以上経ってもなお流布されているというのは、なんとも情けない話です。



*1:第3師団の場合はおそらく第83条3項の近傍派遣を名目にしていると思う。

*2:当時は防衛庁

*3:http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_housei.nsf/html/houritsu/01919540609165.htm

1991年12月7日時点の産経新聞の認識

1991年8月14日に名乗り出た元日本軍慰安婦の金学順氏は、同年12月6日に日本政府を提訴しました。

1991年12月7日 産経新聞

日本政府は謝罪を

従軍慰安婦で提訴の金さん 若人に歴史知ってほしい

 太平洋戦争中、旧日本軍の従軍慰安婦として精神的、肉体的苦痛を強いられたとして国に対して補償を求める訴えを東京地裁に提訴した金学順さん(六七)が六日、大阪市南港区の「リバティおおさか」(大阪人権歴史資料館)で記者会見し「日本の若い人たちに過去の侵略の歴史を知ってもらいたい。日本政府は従軍慰安婦の存在を認め、謝罪してほしい」と強く訴えた。
 金さんは十七歳の時、日本軍に強制的に連行され、中国の前線で、軍人の相手をする慰安婦として働かされた。「軍人が来ない日はなかった。五人の女性がいたが一日に数十人もの軍人の相手をさせられた」と涙ぐみながら当時の生活を語った。
 今年八月、金さんは朝鮮・韓国人の従軍慰安婦としては初めて自ら名乗り出た。儒教思想の強い韓国では「外を出歩くのさえ恥ずかしい」思いをしたという。
 金さんはきょう七日午後二時からリバティおおさかで行われる第二回文化フォーラム「朝鮮人従軍慰安婦と日本の戦後責任」で自らの体験を証言する。

http://odd-hatch.hatenablog.com/entry/2018/07/24/152644

朝日新聞植村氏による1991年8月11日の記事はこちら、金学順氏が名乗り出た翌8月15日の記事はこちら、提訴後の1991年12月25日の朝日記事はこちら
朝日記事に比べれば、産経新聞の方が「金さんは十七歳の時、日本軍に強制的に連行され」と明確に“日本軍が強制連行した”と言い切っていますね。後に「戦後の造語」だと言って非難することになる「従軍慰安婦」という用語も躊躇なく使っています。

慰安婦問題の全体的な構図を考慮すれば、「金さんは十七歳の時、日本軍に強制的に連行され、中国の前線で、軍人の相手をする慰安婦として働かされた」という産経記事(1991/12/7)の表現が間違ってるとは思いません。
しかし、産経新聞が社を挙げて安倍政権と癒着し非自民野党や朝日新聞を執拗に攻撃する材料である慰安婦問題について、産経自身がこのように書き、なかでも朝日を目の敵にして朝日に対する脅迫をそそのかした阿比留記者自身が、自社がこう書いていたことを植村氏から2015年7月30日に指摘されるまで気付きもしなかったというのは、さすがひどい話だと思いますね。

阿比留「間違いですね」

植村「間違いですか? ふ~ん。これがもし間違いだったら、『朝日新聞との歴史戦は、今後も続くのだと感じた』って阿比留さんは書かれているんだけど、産経新聞の先輩記者と歴史戦をまずやるべきじゃないですか。原川さんどうですか」

原川「私、初めて見ましたので、どういう経緯でこうなったか、どこまで調べられるか。これはちょっと日付をメモさせてもらって」

https://www.sankei.com/premium/news/150830/prm1508300009-n6.html

産経新聞がいかにクソな会社かをよく物語るエピソードです。



産経らしい曲解した記事

この件。

旧日本軍のコスプレ撮影を禁止する条例案を南京市が制定へ 「大虐殺」への異論も禁止

8/29(水) 20:19配信 産経新聞
 【北京=西見由章】中国江蘇省南京市の人民代表大会(市議会に相当)常務委員会は29日までに、中国側が主張する「南京大虐殺」への異論や、旧日本軍のコスプレの撮影などを禁止する条例案を提出した。地元紙の現代快報が報じた。
(略)

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180829-00000592-san-cn

実際の条例案はこんな感じ。

南京拟立法明确“精日”行为的法律责任,三种典型行为将被追责

来源:现代快报全媒体编辑:蒋文嘉2018-08-28 13:18分享.
(略)
禁止任何组织或者个人歪曲、否认南京大屠杀史实,侮辱、诽谤南京大屠杀死难者、幸存者和在抗日战争中殉国的英雄烈士,编造、传播有损国家和民族尊严、伤害人民感情的言论或者信息;
禁止在国家公祭设施等地使用二战时期日本军服、图标或者相关道具拍照、录制视频或者通过网络对上述行为公开传播,宣扬、美化侵略战争和侵略行为;
禁止任何组织或者个人侵害南京大屠杀死难者、幸存者的姓名、肖像、名誉、荣誉等合法权益。

(訳)
いかなる個人・組織に対しても、南京大虐殺の史実を歪曲・否定すること、南京大虐殺犠牲者・生存者及び日中戦争中に殉国した英雄烈士を侮辱・誹謗すること、国家及び民族の尊厳を損ない人民感情を傷つける言論あるいは情報を流布すること、を禁止する。
国立慰霊施設等で第二次大戦時期の日本軍軍服や記章を使用し、侵略戦争を美化・宣揚する動画を撮影し公開すること、を禁止する。
いかなる個人・組織に対しても、南京大虐殺犠牲者・生存者の姓名・肖像、名誉、栄誉などの合法的な権利を侵害することを禁止する。

(略)

http://www.xdkb.net/index/article/2018-08/28/content_1109340.htm

南京大虐殺の史実を歪曲・否定することの禁止を産経は「中国側が主張する「南京大虐殺」への異論」の禁止に改竄、慰霊施設内で侵略戦争を美化する目的での旧日本軍の軍装を使用することの禁止を「旧日本軍のコスプレの撮影などを禁止」に改竄していますね。
日本国内で例えるなら、原爆被害を歪曲・否定したりする行為や、原爆ドーム被爆者のコスプレしてちゃかす行為を禁止するようなものでしょうか。

条例など法で規制するのはどうかと思いますが、まあ非難されて当たり前の行為であることも当然ですよね。



続きを読む

第196回国会と第193回国会の野党の法案賛否状況

立憲民主党の中谷一馬議員が以下の内容を公表していました。

衆議院:83件>

会派 賛成数(率) 反対数(率) 欠席数(率)
立憲民主党・市民クラブ 62(74.7%) 15(18.1%) 6( 7.2%)
国民民主党・無所属クラブ 66(79.5%) 11(13.3%) 6( 7.2%)
無所属の会 64(77.1%) 13(15.7%) 6( 7.2%)
日本共産党 36(43.4%) 41(49.4%) 6( 7.2%)
日本維新の会 81(97.6%) 2( 2.4%) 0( 0.0%)
自由党 56(67.5%) 21(25.3%) 6( 7.2%)
社会民主党市民連合 56(67.5%) 21(25.3%) 6( 7.2%)
希望の党 43(93.5%) 2( 4.3%) 1( 2.2%)

希望の党は会派結成後の46件のみ対象)

参議院:83件>

会派 賛成数(率) 反対数(率) 欠席数(率)
国民民主党・新緑風会 67(80.7%) 14(16.9%) 0( 0.0%)
立憲民主党・民友会 68(81.9%) 13(15.7%) 2( 2.4%)
日本共産党 38(45.8%) 45(54.2%) 0( 0.0%)
日本維新の会 79(95.2%) 4( 4.8%) 0( 0.0%)
希望の会(自由・社民) 47(56.6%) 18(21.7%) 2( 2.4%)
希望の党 74(89.2%) 8( 9.6%) 1( 1.2%)
無所属クラブ 82(98.8%) 1( 1.2%) 0( 0.0%)
沖縄の風 52(62.7%) 28(33.7%) 3( 3.6%)
国民の声 79(95.2%) 1( 1.2%) 0( 0.0%)

f:id:scopedog:20180903003023p:plain

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180817-00010001-senkyocom-pol


で、以前2017年の衆議院について調べた結果はこちら

会派 賛成数 欠席数 反対数
自由民主党無所属の会 63(100%) 0 0
民進党・無所属クラブ 50(79.4%) 1(1.6%) 12(19.0%)
公明党 63(100%) 0 0
日本維新の会 61(96.8%) 0 2(3.2%)
自由党 35(55.6%) 7(11.1%) 21(33.3%)
社会民主党市民連合 35(55.6%) 6(9.5%) 22(34.9%)
日本共産党 21(33.3%) 0 42(66.7%)

第193回国会 議案の一覧 閣法の一覧から集計。

賛成率の変化(衆議院のみ)

会派 第193回国会 第196回国会
民進党→国民民主党 79.4%(50/63) 80.7%(67/83)
民進党立憲民主党 79.4%(50/63) 81.9%(68/83)
日本共産党 33.3%(21/63) 45.8%(38/83)
日本維新の会 96.8%(61/63) 95.2%(79/83)
自由党希望の会  55.6%(35/63) 56.6%(47/83)
社民党希望の会  55.6%(35/63) 56.6%(47/83)
希望の党 --- 89.2%(74/83)

共産党は賛成率低めながら、反対一辺倒というわけでもなく、法案内容に応じて是々非々判断していそうな感じ。
立憲民主党も国民民主党も賛成率としては、民進党時代とほぼ同じでこの辺は少し興味深いところ。
賛成率が一貫しているのは自由党社民党も同様で、これもやはり興味深い。
維新の会は一貫して政府法案のほとんど全てに賛成で野党の役割を放棄している印象。

希望の党は賛成率だけで見ると、民進党と維新を足して2で割ったような、ああなるほどなぁと思える感じ。



黒人ドライバーには1キロオーバーでも罰金刑を科すが、白人ドライバーなら30キロオーバーまでは見逃すという対応を認めるの?という話。

警察による速度違反の処分に対して不服申立をしてきたドライバーが10人いたとしましょう。
そのうち9人は黒人で、制限速度からの超過分は1~10キロでした。
残り1人は白人で、制限速度からの超過分は40キロでした。

さて、あなたが黒人差別に反対かつ公正を旨とする検察官だった場合、これをどう処理しますか?

公正であらんとすれば、たとえ黒人であっても、それが1キロオーバーに過ぎなくても、違反は違反であると考え不服申立を認めず起訴するというのが、正しいように思えますね。黒人差別に反対であっても、是々非々で判断するという態度なわけですから。

しかし、警察が処分を下している段階で黒人ドライバーの場合だけ1キロオーバーでも違反切符を切り、白人ドライバーの場合は超過30キロ未満なら見逃すという対応をとっていたとしたらどうでしょうか?
つまり、警察の取締りの段階で、黒人と白人で異なる基準で処分を下すというダブルスタンダードが行われていた場合です。

その場合でも、黒人ドライバーが速度違反をしたという事実は確かに存在します。

さて、あなたが黒人差別に反対かつ公正を旨とする検察官だった場合、これをどう処理しますか?
警察が人種差別に基づく不適切なフィルタリングを行っていたとしても、やはり速度違反は速度違反だとして1~10キロ超過の黒人9人と40キロ超過の白人1人の10人全員を起訴しますか?

私だったら、黒人9人に対しては不服申立を認めて処分を取り消しますね。
1~10キロ超過でも違反は違反ですが、取締りの最初の段階で不適切なフィルタリングが行われていた以上、そこで抽出された集団だけを見て公正さを発揮しても、全体として公正にはならないからです。
白人ドライバーの超過30キロ未満の違反が見逃されていた以上、黒人ドライバーの超過30キロ未満の違反も同様に不問にしなければ、公正とはいえない、と私は考えます*1


朝日新聞のnoindexの件もこれと同じと考えています。

ネトウヨや産経や自民党朝日新聞だけを目の敵にして他社なら不問に付されたような些細な問題*2まで狙い打ちにして煽り立て、話題になった事案だけを見て、したり顔で“朝日の対応は問題だ”などというのは、警察にフィルタリングされた後の結果だけしか見ずに“1キロオーバーに過ぎなくても、違反は違反である”として起訴する検察官と同じです。

そのような検察官は、自分は差別に加担せず公正である、是々非々で対応していると思い込んだまま、差別に加担しているんですけどね。



*1:あと不服申し立てをしなかった超過30キロ未満の違反者についても処分の取り消しを行い、警察に対しては違反切符を切るにあたって人種差別をしないように伝えることも必要ですが、ここはあくまでたとえ話なのでその辺は省略してます

*2:個人的にはnoindexが問題だとも思いませんが。

櫻井よしこコラム(2014/3/3)は訂正(2018/6/4)により意味が通じなくなるので、訂正としても不適当

櫻井よしこの捏造記事に対して、ネトウヨらによる脅迫被害を受けた植村氏は裁判を通してようやく産経に訂正させることが出来たわけですが、その訂正内容が酷いもので、自己正当化を優先して元記事の本筋を狂わせるという惨憺たるものだったりします。

元記事はこれ。
【櫻井よしこ 美しき勁き国へ】真実ゆがめる朝日報道(2014.3.3 03:13更新 )

訂正に関連する部分だけを取り出して訂正前後を並べるとこうなります。

(訂正前)
 91年8月11日、大阪朝日の社会面一面で、植村隆氏が「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』」を報じた。
 この女性、金学順氏は後に東京地裁に訴えを起こし、訴状で、14歳で継父に40円で売られ、3年後、17歳のとき再び継父に売られたなどと書いている。植村氏は彼女が人身売買の犠牲者であるという重要な点を報じず、慰安婦とは無関係の「女子挺身隊」と慰安婦が同じであるかのように報じた。それを朝日は訂正もせず、大々的に紙面化、社説でも取り上げた。捏造を朝日は全社挙げて広げたのである。

https://www.sankei.com/entertainments/news/140303/ent1403030022-n1.html

(訂正後)
 91年8月11日、大阪朝日の社会面一面で、植村隆氏が「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』」を報じた。
 平成3年から4年に発行された雑誌記事、韓国紙の報道によると、この女性、金学順氏は14歳のときに親から養父に40円で売られ、17歳のときその養父によって中国に連れて行かれ慰安婦にされたという。植村氏は彼女が人身売買の犠牲者であるという重要な点を報じず、慰安婦とは無関係の「女子挺身隊」と慰安婦が同じであるかのように報じた。それを朝日は訂正もせず、大々的に紙面化、社説でも取り上げた。捏造を朝日は全社挙げて広げたのである。

櫻井氏と産経新聞は「訴状で、14歳で継父に40円で売られ、3年後、17歳のとき再び継父に売られたなどと書いている」という虚偽を指摘されたものの、とにかく、慰安婦強制連行は無かった説と金学順は親に売られた説を維持することを優先して、ソースを「訴状」から「平成3年から4年に発行された雑誌記事、韓国紙の報道」に切り替えています。

そもそも「平成3年から4年に発行された雑誌記事、韓国紙の報道」とは具体的に何なのかという点が不明で、この時点で信憑性が無いのですが、それ以前におかしな点があります。

それは「91年8月11日、大阪朝日の社会面一面」の報道内容を否定するのに、「平成3年から4年に発行された雑誌記事、韓国紙の報道」を持ち出している点です。「平成3年から4年」つまり1991年から1992年にかけての雑誌・報道を根拠に、1991年8月の記事を否定しているわけです。

もう少し詳しい時系列を述べると、植村氏が書いた当該記事の掲載日である1991年8月11日時点では金学順氏は名乗り出ておらず匿名で、彼女が名乗り出たのは記事から3日後の1991年8月14日です(韓国政府はこの日を慰安婦記念日として制定した)。その名乗り出以降に金学順氏に関する報道が出てくるわけです。

参考:金学順(キムハクスン)/김학순氏の名乗り出証言(1991年8月14日)前後

つまり、植村氏が「91年8月11日、大阪朝日の社会面一面」記事を書いた時点では、「平成3年から4年に発行された雑誌記事、韓国紙の報道」なるものは時系列的に公表されてもおらず、当然、産経が「彼女が人身売買の犠牲者であるという重要な点」と称する事情についても、植村氏は時系列的・論理的に知りえなかったわけです。
ところが櫻井氏と産経新聞は「植村氏は彼女が人身売買の犠牲者であるという重要な点を報じず」と非難しています。櫻井氏と産経新聞が訂正したように「平成3年から4年に発行された雑誌記事、韓国紙の報道」によらないと「金学順氏は14歳のときに親から養父に40円で売られ、17歳のときその養父によって中国に連れて行かれ慰安婦にされた」といえないのなら、その「雑誌記事、韓国紙の報道」が出る以前に書かれた1991年8月11日記事に言及なくて当然であって、櫻井氏と産経による非難は不当極まるものです。

櫻井よしこ氏と産経新聞は、現時点で明らかになっていなくても将来明らかになる事実を踏まえて記事を書くことを要求しているわけですから、もうむちゃくちゃです。やくざ並みの因縁のつけ方と言えます。

1991年8月に「慰安婦とは無関係の「女子挺身隊」と慰安婦が同じであるかのように報じた」としてそれの何が問題?

当時、韓国では「挺身隊」=慰安婦という認識でした(「韓国挺身隊問題対策協議会」という名称がそれを物語っていますよね)。そして、日本でもそれに疑問を感じる人は別になく、読売新聞(1987年8月14日、1991年8月24日)でも同様に「「女子挺身隊」と慰安婦が同じであるかのように」報じられています。
どこの新聞社も、2014年の朝日新聞の訂正記事以前の段階で明示的に訂正したりはしていません。
そもそも1970年代には既に「挺身隊」=慰安婦という認識はありましたから、朝日報道がどうのという話にはなりようがありません。

にもかかわらず、朝日新聞の植村氏に対しては“娘を殺す”という脅迫まで受ける被害が発生しています。それこそ、産経新聞などがまるで朝日新聞だけが「「女子挺身隊」と慰安婦が同じであるかのように報じた」結果として、朝日新聞や植村氏に脅迫や非難が集中したといえるでしょう。

1991年8月11日記事には「だまされて慰安婦にされた」とちゃんと書かれている

植村氏の書いた朝日新聞大阪版(1991年8月11日掲載)にはこう書かれています。

 女性の話によると、中国東北部で生まれ、十七歳の時、だまされて慰安婦にされた。ニ、三百人の部隊がいる中国南部の慰安所に連れて行かれた。

http://scopedog.hatenablog.com/entry/20150121/1421776753

「植村氏は彼女が人身売買の犠牲者であるという重要な点を報じず」と櫻井氏と産経は主張していますが、騙されて性的搾取の被害を受けたのなら、それが「人身売買の犠牲者」であることは自明であって「報じず」という櫻井氏と産経の認識自体が間違っているとしか言いようがありません。

「捏造を朝日は全社挙げて広げた」という櫻井氏と産経の捏造

櫻井氏と産経が執拗に攻撃している朝日新聞の1991年8月11日記事ですが、そもそも捏造と言える部分が存在しません。仮に「「女子挺身隊」と慰安婦が同じであるかのように報じた」ことを指して「捏造」とみなしているのであれば、読売新聞が1987年8月14日と1991年8月24日に「「女子挺身隊」と慰安婦が同じであるかのように報じた」ことから、当時既に広範に広がっていた認識だったと解釈する他なく、朝日が「全社挙げて広げた」という認識にはなりようがありません。
では、「金学順氏が「強制連行の被害者」」と報じることを、櫻井・産経が捏造とみなしていると仮定すれば、「捏造を朝日は全社挙げて広げた」という記載が整合するかというと、これも成立しません。なぜなら、植村氏の書いた朝日新聞大阪版(1991年8月11日掲載)には「強制連行」などという記載は一言も無いからです。
つまり、「捏造を朝日は全社挙げて広げた」という櫻井氏と産経の主張自体が、櫻井・産経による捏造と言う他無いんですよね。

「平成3年から4年に発行された雑誌記事、韓国紙の報道」から「金学順氏が「強制連行の被害者」ではないことは明らか」なら、1993年に金学順氏を強制連行の被害者と報じた産経は一体何なのかと。

櫻井・産経は訂正文で以下のように述べています。

【訂正】平成26年3月3日の当欄に「この女性、金学順氏は後に東京地裁に訴えを起こし、訴状で、14歳で継父に40円で売られ、3年後、17歳のとき再び継父に売られたなどと書いている。」とあるのを、「平成3年から4年に発行された雑誌記事、韓国紙の報道によると、この女性、金学順氏は14歳のときに親から養父に40円で売られ、17歳のときその養父によって中国に連れて行かれ慰安婦にされたという。」に訂正します。なお、平成3年の東京地裁の訴状では、「40円で売られ」たとの記述および17歳のときに「売られた」との記述はなく、また「継父」は「養父」と記されていますが、この訴状においても、金学順氏が養女となって14歳からキーセン学校に3年間通ったことおよび、「そこへ行けば金儲(もう)けができる」と説得され、平壌から3日間かけて中国の北支「鉄壁鎮」に連れて行ったのは養父であると書かれており、金学順氏が「強制連行の被害者」ではないことは明らかです

https://www.sankei.com/entertainments/news/140303/ent1403030022-n1.html

1991年から1992年の「雑誌記事、韓国紙の報道」から「金学順氏が「強制連行の被害者」ではないことは明らか」だと主張しているのですが、それらの報道以前に書かれた植村記事を批判する根拠にならないのは既に述べました。
それよりさらに問題なのは、「金学順氏が「強制連行の被害者」ではないことは明らか」になっているはずの1993年に産経新聞は「金さんは(略)中国・北京で強制連行された」と報じている点です。

植村「間違っている? これはね93(平成5)年8月(31日付の産経新聞大阪本社版)の記事。(記事を読み上げる)太平洋戦争が始まった1941(昭和16)年ごろ、金さんは日本軍の目を逃れるため、養父と義姉の3人で暮らしていた中国・北京で強制連行された。17歳の時だ。食堂で食事をしようとした3人に、長い刀を背負った日本人将校が近づいた。『お前たちは朝鮮人か。スパイだろう』。そう言って、まず養父を連行。金さんらを無理やり軍用トラックに押し込んで一晩中、車を走らせた」って出てるんですけど、これも強制連行ですね。両方主体が日本軍ですけど、それはどうですか」

https://www.sankei.com/premium/news/150830/prm1508300009-n5.html

これは、産経新聞自身が1993年8月31日の時点でもなお「金学順氏が「強制連行の被害者」ではないことは明らか」などとは考えていなかった証拠です。つまり、産経新聞は1993年8月31日の時点では、金学順氏を「強制連行の被害者」だとみなしていた、ということです。

もし、櫻井・産経の訂正文に書かれた通り「平成3年から4年に発行された雑誌記事、韓国紙の報道」から「金学順氏が「強制連行の被害者」ではないことは明らか」であるならば、産経新聞は1993年8月31日に意図的に虚偽の内容を報道したことになります。

実際には「平成3年から4年に発行された雑誌記事、韓国紙の報道」をいくらひねくり回したところで、金学順氏は「強制連行の被害者」としか言いようが無く1990年代の日本社会には、そのように理解するだけの良識が残っていたというだけの話ですけどね。
(※タイトル・サブタイトル以外の強調は全て引用者による)