櫻井よしこコラム(2014/3/3)は訂正(2018/6/4)により意味が通じなくなるので、訂正としても不適当

櫻井よしこの捏造記事に対して、ネトウヨらによる脅迫被害を受けた植村氏は裁判を通してようやく産経に訂正させることが出来たわけですが、その訂正内容が酷いもので、自己正当化を優先して元記事の本筋を狂わせるという惨憺たるものだったりします。

元記事はこれ。
【櫻井よしこ 美しき勁き国へ】真実ゆがめる朝日報道(2014.3.3 03:13更新 )

訂正に関連する部分だけを取り出して訂正前後を並べるとこうなります。

(訂正前)
 91年8月11日、大阪朝日の社会面一面で、植村隆氏が「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』」を報じた。
 この女性、金学順氏は後に東京地裁に訴えを起こし、訴状で、14歳で継父に40円で売られ、3年後、17歳のとき再び継父に売られたなどと書いている。植村氏は彼女が人身売買の犠牲者であるという重要な点を報じず、慰安婦とは無関係の「女子挺身隊」と慰安婦が同じであるかのように報じた。それを朝日は訂正もせず、大々的に紙面化、社説でも取り上げた。捏造を朝日は全社挙げて広げたのである。

https://www.sankei.com/entertainments/news/140303/ent1403030022-n1.html

(訂正後)
 91年8月11日、大阪朝日の社会面一面で、植村隆氏が「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』」を報じた。
 平成3年から4年に発行された雑誌記事、韓国紙の報道によると、この女性、金学順氏は14歳のときに親から養父に40円で売られ、17歳のときその養父によって中国に連れて行かれ慰安婦にされたという。植村氏は彼女が人身売買の犠牲者であるという重要な点を報じず、慰安婦とは無関係の「女子挺身隊」と慰安婦が同じであるかのように報じた。それを朝日は訂正もせず、大々的に紙面化、社説でも取り上げた。捏造を朝日は全社挙げて広げたのである。

櫻井氏と産経新聞は「訴状で、14歳で継父に40円で売られ、3年後、17歳のとき再び継父に売られたなどと書いている」という虚偽を指摘されたものの、とにかく、慰安婦強制連行は無かった説と金学順は親に売られた説を維持することを優先して、ソースを「訴状」から「平成3年から4年に発行された雑誌記事、韓国紙の報道」に切り替えています。

そもそも「平成3年から4年に発行された雑誌記事、韓国紙の報道」とは具体的に何なのかという点が不明で、この時点で信憑性が無いのですが、それ以前におかしな点があります。

それは「91年8月11日、大阪朝日の社会面一面」の報道内容を否定するのに、「平成3年から4年に発行された雑誌記事、韓国紙の報道」を持ち出している点です。「平成3年から4年」つまり1991年から1992年にかけての雑誌・報道を根拠に、1991年8月の記事を否定しているわけです。

もう少し詳しい時系列を述べると、植村氏が書いた当該記事の掲載日である1991年8月11日時点では金学順氏は名乗り出ておらず匿名で、彼女が名乗り出たのは記事から3日後の1991年8月14日です(韓国政府はこの日を慰安婦記念日として制定した)。その名乗り出以降に金学順氏に関する報道が出てくるわけです。

参考:金学順(キムハクスン)/김학순氏の名乗り出証言(1991年8月14日)前後

つまり、植村氏が「91年8月11日、大阪朝日の社会面一面」記事を書いた時点では、「平成3年から4年に発行された雑誌記事、韓国紙の報道」なるものは時系列的に公表されてもおらず、当然、産経が「彼女が人身売買の犠牲者であるという重要な点」と称する事情についても、植村氏は時系列的・論理的に知りえなかったわけです。
ところが櫻井氏と産経新聞は「植村氏は彼女が人身売買の犠牲者であるという重要な点を報じず」と非難しています。櫻井氏と産経新聞が訂正したように「平成3年から4年に発行された雑誌記事、韓国紙の報道」によらないと「金学順氏は14歳のときに親から養父に40円で売られ、17歳のときその養父によって中国に連れて行かれ慰安婦にされた」といえないのなら、その「雑誌記事、韓国紙の報道」が出る以前に書かれた1991年8月11日記事に言及なくて当然であって、櫻井氏と産経による非難は不当極まるものです。

櫻井よしこ氏と産経新聞は、現時点で明らかになっていなくても将来明らかになる事実を踏まえて記事を書くことを要求しているわけですから、もうむちゃくちゃです。やくざ並みの因縁のつけ方と言えます。

1991年8月に「慰安婦とは無関係の「女子挺身隊」と慰安婦が同じであるかのように報じた」としてそれの何が問題?

当時、韓国では「挺身隊」=慰安婦という認識でした(「韓国挺身隊問題対策協議会」という名称がそれを物語っていますよね)。そして、日本でもそれに疑問を感じる人は別になく、読売新聞(1987年8月14日、1991年8月24日)でも同様に「「女子挺身隊」と慰安婦が同じであるかのように」報じられています。
どこの新聞社も、2014年の朝日新聞の訂正記事以前の段階で明示的に訂正したりはしていません。
そもそも1970年代には既に「挺身隊」=慰安婦という認識はありましたから、朝日報道がどうのという話にはなりようがありません。

にもかかわらず、朝日新聞の植村氏に対しては“娘を殺す”という脅迫まで受ける被害が発生しています。それこそ、産経新聞などがまるで朝日新聞だけが「「女子挺身隊」と慰安婦が同じであるかのように報じた」結果として、朝日新聞や植村氏に脅迫や非難が集中したといえるでしょう。

1991年8月11日記事には「だまされて慰安婦にされた」とちゃんと書かれている

植村氏の書いた朝日新聞大阪版(1991年8月11日掲載)にはこう書かれています。

 女性の話によると、中国東北部で生まれ、十七歳の時、だまされて慰安婦にされた。ニ、三百人の部隊がいる中国南部の慰安所に連れて行かれた。

http://scopedog.hatenablog.com/entry/20150121/1421776753

「植村氏は彼女が人身売買の犠牲者であるという重要な点を報じず」と櫻井氏と産経は主張していますが、騙されて性的搾取の被害を受けたのなら、それが「人身売買の犠牲者」であることは自明であって「報じず」という櫻井氏と産経の認識自体が間違っているとしか言いようがありません。

「捏造を朝日は全社挙げて広げた」という櫻井氏と産経の捏造

櫻井氏と産経が執拗に攻撃している朝日新聞の1991年8月11日記事ですが、そもそも捏造と言える部分が存在しません。仮に「「女子挺身隊」と慰安婦が同じであるかのように報じた」ことを指して「捏造」とみなしているのであれば、読売新聞が1987年8月14日と1991年8月24日に「「女子挺身隊」と慰安婦が同じであるかのように報じた」ことから、当時既に広範に広がっていた認識だったと解釈する他なく、朝日が「全社挙げて広げた」という認識にはなりようがありません。
では、「金学順氏が「強制連行の被害者」」と報じることを、櫻井・産経が捏造とみなしていると仮定すれば、「捏造を朝日は全社挙げて広げた」という記載が整合するかというと、これも成立しません。なぜなら、植村氏の書いた朝日新聞大阪版(1991年8月11日掲載)には「強制連行」などという記載は一言も無いからです。
つまり、「捏造を朝日は全社挙げて広げた」という櫻井氏と産経の主張自体が、櫻井・産経による捏造と言う他無いんですよね。

「平成3年から4年に発行された雑誌記事、韓国紙の報道」から「金学順氏が「強制連行の被害者」ではないことは明らか」なら、1993年に金学順氏を強制連行の被害者と報じた産経は一体何なのかと。

櫻井・産経は訂正文で以下のように述べています。

【訂正】平成26年3月3日の当欄に「この女性、金学順氏は後に東京地裁に訴えを起こし、訴状で、14歳で継父に40円で売られ、3年後、17歳のとき再び継父に売られたなどと書いている。」とあるのを、「平成3年から4年に発行された雑誌記事、韓国紙の報道によると、この女性、金学順氏は14歳のときに親から養父に40円で売られ、17歳のときその養父によって中国に連れて行かれ慰安婦にされたという。」に訂正します。なお、平成3年の東京地裁の訴状では、「40円で売られ」たとの記述および17歳のときに「売られた」との記述はなく、また「継父」は「養父」と記されていますが、この訴状においても、金学順氏が養女となって14歳からキーセン学校に3年間通ったことおよび、「そこへ行けば金儲(もう)けができる」と説得され、平壌から3日間かけて中国の北支「鉄壁鎮」に連れて行ったのは養父であると書かれており、金学順氏が「強制連行の被害者」ではないことは明らかです

https://www.sankei.com/entertainments/news/140303/ent1403030022-n1.html

1991年から1992年の「雑誌記事、韓国紙の報道」から「金学順氏が「強制連行の被害者」ではないことは明らか」だと主張しているのですが、それらの報道以前に書かれた植村記事を批判する根拠にならないのは既に述べました。
それよりさらに問題なのは、「金学順氏が「強制連行の被害者」ではないことは明らか」になっているはずの1993年に産経新聞は「金さんは(略)中国・北京で強制連行された」と報じている点です。

植村「間違っている? これはね93(平成5)年8月(31日付の産経新聞大阪本社版)の記事。(記事を読み上げる)太平洋戦争が始まった1941(昭和16)年ごろ、金さんは日本軍の目を逃れるため、養父と義姉の3人で暮らしていた中国・北京で強制連行された。17歳の時だ。食堂で食事をしようとした3人に、長い刀を背負った日本人将校が近づいた。『お前たちは朝鮮人か。スパイだろう』。そう言って、まず養父を連行。金さんらを無理やり軍用トラックに押し込んで一晩中、車を走らせた」って出てるんですけど、これも強制連行ですね。両方主体が日本軍ですけど、それはどうですか」

https://www.sankei.com/premium/news/150830/prm1508300009-n5.html

これは、産経新聞自身が1993年8月31日の時点でもなお「金学順氏が「強制連行の被害者」ではないことは明らか」などとは考えていなかった証拠です。つまり、産経新聞は1993年8月31日の時点では、金学順氏を「強制連行の被害者」だとみなしていた、ということです。

もし、櫻井・産経の訂正文に書かれた通り「平成3年から4年に発行された雑誌記事、韓国紙の報道」から「金学順氏が「強制連行の被害者」ではないことは明らか」であるならば、産経新聞は1993年8月31日に意図的に虚偽の内容を報道したことになります。

実際には「平成3年から4年に発行された雑誌記事、韓国紙の報道」をいくらひねくり回したところで、金学順氏は「強制連行の被害者」としか言いようが無く1990年代の日本社会には、そのように理解するだけの良識が残っていたというだけの話ですけどね。
(※タイトル・サブタイトル以外の強調は全て引用者による)