東京裁判は南京大虐殺の犠牲者数を認定するための裁判ではありません

南京軍事法廷もそうですが、これらの裁判は基本的に司令官クラスの管理責任を問うもの*1ですから、師団長や軍司令官の管理責任が問える規模の虐殺があったことが示されれば充分でした。
捕虜・民間人虐殺が数万人以上の規模であったことが示されれば、軍事組織の管理責任を問う上では充分な規模と言えるでしょう。検察側が出された資料に30万、40万と書いてあり、それらの確からしさを調査した上でどう見ても10万は下らないと判断できれば、その裁判所としては、それ以上に詳細な犠牲者数を調べる必要はないと言えます。
そこから先は歴史家の仕事でしょう*2

東京裁判での判定犠牲者数

確度の高い数として以下の人数を判決文で上げています。

階級・階層 種別 虐殺人員
中国人男女子供 非戦闘員    12000人以上*3
成人中国人男子 非戦闘員    20000人以上*4
一般人避難民  非戦闘員    57000人以上*5
中国軍兵士   戦闘員(捕虜) 30000人以上*6
上記合計 - 119000人以上

東京裁判で10万人以上」という話はこの11万9000人以上という数字から出てきたものでしょう。

しかし、判決文は続いて以下のように述べています。

Estimates made at a later date indicate that the total number of civilians and prisoners of war murdered in Nanking and its vicinity during the first six weeks of the Japanese occupation was over 200,000. That these estimates are not exaggerated is borne out by the fact that burial societies and other organizations counted more than 155,000 bodies which they buried.

http://www.ibiblio.org/hyperwar/PTO/IMTFE/IMTFE-8.html

後日の調査で出された資料から、犠牲者数は20万人以上、と述べており、埋葬数が155000体以上であった事実からこの「20万人以上」という数字は過大なものではない、と判定しています。
これが「東京裁判で20万人以上」という犠牲者数20万人以上説の根拠となっています。

これからわかるように、東京裁判開廷中も南京事件の証拠は収集され新たな提出が続いていたわけです*7。当時は日本敗戦から2〜3年しか経っておらず、その上中国では国共内戦が勃発していたという状況でした。困難な状況下で証拠が集められていたわけです。

裁判所は裁判所で、次々と届く資料に対してそれぞれ事実かどうか蓋然性が高いかどうかと判定していくわけですが、南京事件の場合は、大虐殺事件の存在自体は否定しようのないものでしたから、10万人以上という規模がわかれば、それ以上の具体的な数字について詳細に調べる必要性はありません。

その結果、「11万9000人以上」と「20万人以上」という2種類の数字が判決文に記載されたわけです。どちらが裁判所の判断かと言えば、どちらをとっても間違いとは言えないでしょうが、さまざま証拠を読み込んだ裁判官が「20万人以上」と書いた以上、「20万人以上」と言う方が妥当だと思いますね。

南京軍事法廷東京裁判の数字の差

時折、”南京軍事法廷の34万人以上という数字を、東京裁判では眉唾だと判断して20万人に減らした”的な主張を見かけますが、実際にはそう単純ではありません。

一般の裁判でもそうですが、個々の裁判所や裁判官によって事実認定の基準というのは結構変動します。いくつかの証言と状況証拠から、事実と認定する裁判官もいれば、この程度の証拠では事実とまでは認定できないとする裁判官もいます。ここで重要なのは、どちらの裁判官も嘘だとはみなしていないということです。あくまでも裁判所として事実と判断できるかどうかの分岐に過ぎません。

南京事件の場合で言うと、焼却されたり、揚子江へ投棄されたりして死体が残っていない虐殺犠牲者の認定について、南京軍事法廷東京裁判で分かれたと言えます。

南京軍事法廷では以下のように19万人以上と認定されました。

日本軍に捕えられた中国の兵士、民間人のうち、中華門、花神廟、石観音、小心橋、掃箒巷、正覚寺、方家山、宝塔橋、下関、草鞋峡などで集団殺戮に遭い死体を焼き払われたものは合計19万人に達する。

http://nanjingforever.web.infoseek.co.jp/nankinsaiban.html

しかし、東京裁判では犠牲者数不明として人数については具体的な言及をせず、以下のように表記しました。

These figures do not take into account those persons whose bodies were destroyed by burning, or by throwing them into the Yangtze River, or otherwise disposed of by Japanese.
*8

http://www.ibiblio.org/hyperwar/PTO/IMTFE/IMTFE-8.html

つまり、東京裁判で認定された犠牲者数を考慮する場合、本来なら「20万人以上」+「死体の残らなかった犠牲者数」と考える必要があるわけですが、わかりやすい数字だけが一人歩きしている状況と言えます。


ちなみに死体の残っている犠牲者数についてみると、南京軍事法廷では「15万人以上」*9に対し、東京裁判では「20万人以上」となっていますので、むしろ東京裁判で増えたとも言えます*10

*1:100人斬りや300人斬りで裁判を受けた者もいますが、彼らについてもそれらの斬殺行為が行われたか否かが判定されたわけで実際に何人斬ったかは認定されていません。その必要がないからです。

*2:あるいは補償問題が生起した場合は裁判所が改めて判断する必要があるかもしれませんが、既に70年以上経っていることを考慮すると、仮に補償問題が起きたとしても全体での犠牲者数を裁判所が判断する必要性は低いでしょうね

*3:「At least 12,000 non-combatant Chinese men, women and children met their deaths in these indiscriminate killings during the first tow or three days of the Japanese occupation of the city.」

*4:「More than 20,000 Chinese men of military age are known to have died in this fashion.」

*5:「Of the civilians who had fled Nanking, over 57,000 were overtaken and interned. These were starved and tortured in captivity until a large number died. Many of the survivors were killed by machine gun fire and by bayoneting.」

*6:「 Large parties of Chinese soldiers laid down their arms and surrendered outside Nanking; within 72 hours after their surrender, they were killed in groups by machine gun fire along the bank of the Yangtze River. Over 30,000 such prisoners of war were so killed.」

*7:裁判中に新たな証拠が提出されること自体は普通の裁判でもよく行われていることです。刑事裁判では警察・検察が収集した証拠が概ね揃った上で裁判となりますが、それでも後から証拠が出される事がよくあります。

*8:訳「これらの数字は、焼却や長江(揚子江)への投棄、あるいは日本軍によって始末され死体が残っていない犠牲者については考慮されていません。」

*9:「中華門、下満碼頭、東岳廟、堆草巷、斬龍橋等で個別に虐殺され、死体を慈善団体によって埋葬されたものは合計15万人以上に達する。」http://nanjingforever.web.infoseek.co.jp/nankinsaiban.html

*10:東京裁判の20万人以上について明示された根拠は「155,000 bodies which they buried」ですが、これ以外に埋葬記録がありますから、死体のあるもの20万人以上と判断しても間違いとは言えないでしょう。 ”These figures”に20万人以上を含めるかどうかという読み方によりますが。