「ハシシタ 奴の本性」事件雑感

「ハシシタ 奴の本性」に関する記事としては、佐野眞一氏と週刊朝日の「ハシシタ 奴の本性」は橋下徹大阪市長の人権を侵害していない - Everyone says I love you !が一番納得できる内容でした。

佐野氏の記事については読んでみましたが、差別として問題視されるべき箇所は特に見いだせませんでした。強いて言えば、地名を挙げて部落地区であったことを記載しているくらいでしょう。もっとも第1回だけですので、2回目以降にどう展開したかはわかりませんし、橋下氏が書いてほしくないであろうと思われる箇所はありました。

橋下氏の出自に関しては本人が公言していますから、それについてあげつらって書いているのでなければ特に問題があるとは思えません。出自に関係なく、家族について書いて欲しくないというのは理解できますが、公人、特に芸人、政治家である以上、家族についてあれこれ書かれるのも慣習として問題はないと思います。

もちろん、橋下氏本人が家族について書くな、と主張する事自体は正当です。橋下氏に限らず、誰にとっても書いて欲しくないことはありますので。

今回の件で問題なのは、橋下氏が「書くな」という要求を週刊朝日や佐野氏に直接あたるのではなく、朝日新聞などへの圧力をかけて行ったこと、そしてメディア側がそれに応じてしまったことです。

繰り返しますが、自分の家族について書いて欲しくないということ自体は誰でも起こりえることで、そのような要望は配慮されてしかるべきです。しかし、親会社に対する取材拒否というやり方で圧力をかけるという手法は、政治家にしか取れないもので不当なやり方です。
報道被害に対する対応という点で考えるなら、被害者の訴えなどを取り上げ報道機関に要請するための仕組みを作るのが正当なやり方であり、それこそ政治で対応するべきことでしょう。
しかし、今回の橋下氏は報道被害という社会の問題としてではなく、自分個人に対する攻撃に対して自分自身の権力を利用したいわば私戦を行ったに過ぎません。

要するに、橋下氏がやったのは個人的な対立で自らの政治権力を私的利用したわけで、政治指導者として問題のある行為と言えます。


もっとも、橋下氏が本当に個人的な対立を原因としてこうした騒動を起こしたのかどうかは疑問です。
繰り返しますが、出自に関しては橋下氏は自身で公言していますから、それを書かれたからといって感情的になるというのは理解しがたいのです。推測ですが、支持率の低下している維新の会に注目を集める為に、橋下氏はわざと感情的に攻撃を開始したように思います。

自身の出自に言及されることは、橋下氏にとっては「差別だ」と大騒ぎする理由として利用できます。
実際の記事の内容に関わらず、橋下氏が公式の場で「差別だ」と大騒ぎすれば、報道を通して「差別 VS 反差別」という対立構造を生成できます。実態としては権力側が発信力を利用してメディアに圧力をかけているにも関わらず、メディア自体も内部に対立や問題を抱えて一枚岩ではないため、”橋下氏の主張する差別は、差別と呼べる実態があったのか”という問いを忘却させ、週刊朝日朝日新聞に対する攻撃として利用されたわけです。
こうして、「政治」 VS 「メディア」 の対立は、「反差別を標榜する政治勢力とそれに野合するメディア」 VS 「差別とレッテルと貼られたメディア」に置換され、圧倒的な力の差から、週刊朝日の敗退、となったわけです。

メディアの力が弱まっていること、それ以前にメディアが自身の使命に対する確信が揺らいでいること、それが如実に表されたと言える事件でした。

今後、メディアは、有力な政治勢力に目を付けられれば、それに対抗できないと自覚するでしょうし、本腰を入れた批判記事など掲載できなくなるでしょう。自主的な自粛が強要される事態です*1

ネット上では、佐野氏の記事を批判する声も多いのですが、連載を潰すに値するほどの内容だったか、ちゃんと判断しているとはちょっと思えません。第1回の記事では橋下氏の父親について書いていただけでした。橋下氏に批判的な記事ですので、本人が望まない内容であることは確かですが、差別的かというとかなり疑問が残る内容です。
記事の是非については、裁判を通して争っても良かったと思いますが、そういった過程を踏まえずに親会社に対する圧力で連載を中止されたのは、日本社会の今後に悪影響を与えたと思います。
その悪影響は、連載が最後まで掲載された場合よりも大きくなるでしょう。

*1:意図的な表現です。