千田夏光氏を「朝鮮人慰安婦強制連行「20万」説」提唱者のように仕立て上げるWikipedia

歴史関連でWikipediaが当てにならないのは何度も指摘していますが、千田氏についてもやはり同じです。無批判にこういったWikipediaを取り上げる人はもう少しリテラシーを磨くべきだと思います。

Wikipediaの「千田 夏光」の項目(2013年3月6日参照)には、「朝鮮人慰安婦強制連行「20万」説」と題する小項目があり、まるで千田氏がその説を提唱したかのように書かれた上、それがいかに間違いであるかと延々と書かれています。

しかし、千田氏は1973年の最初の著作「従軍慰安婦」で従軍慰安婦の人数を8万4千人と推定しており、朝鮮人慰安婦だけで20万人強制連行された、などという主張はしていません。

P162
 ここで"関特演"時において、実際は八千人しか集まらなかったが、必要慰安婦数を兵員七十五万人に対し慰安婦二万人と算出した根拠から推計すると、三百二十万では"八万四千人"の慰安婦が全陸軍にいたことになる。

したがって、Wikipediaに「このような朝鮮人慰安婦を「20万」強制連行したという言説については、李栄薫ソウル大学教授は過度の誇張として批判している[12]。」と記載されている内容は、千田氏に対する批判としては成立しません。李栄薫氏の実際の発言*1について確認していませんが、千田氏に関係ない文脈での発言か、千田氏の説を知らずに発言しているか、のいずれかでしょう。
少なくとも、Wikipediaで該当部分を執筆した人物は、千田氏の代表的な著作である「従軍慰安婦」について碌に読んでいないのは間違いありません。

天児都(あまこ・くに)氏の批判

Wikipediaでは以下のように記述されています。

麻生徹男軍医に関する虚偽記載と謝罪
医師の天児都は2001年に出版した自著で、夏光の『従軍慰安婦』に裏付けのない記述や矛盾が多いと指摘した。夏光は1996年4月、軍医だった天児の父、麻生徹男が自身の論文で娼楼でない軍用娯楽所(音楽、活動写真、図書等)の設立を希望したのに、娼婦が不可欠のものと主張していると誤解し、父親慰安婦制度を考案した責任者のようにほのめかしてしまったことを娘の天児に謝罪したが、その後も出版元の三一書房講談社はその部分を改訂しなかったという。天児は「慰安婦問題」は千田の誤りを検証しないまま、それを事実として書かれた後の著作によって誤りを再生産して日本中に広め、それが海外へ流出して日本叩きの材料とされた事件だ」という旨を述べている[15][2]。

この記述だけでも不自然な部分があります。「父親慰安婦制度を考案した責任者のようにほのめかしてしまったこと」という部分です。千田氏「従軍慰安婦」には、麻生徹男軍医を慰安婦制度の考案者だとか責任者だとか明記している記載はありません。麻生氏を糾弾する記述もありません。麻生氏が花柳病に関するレポートを作成し、それを読んだ軍が朝鮮から素人女性を慰安婦として集める必要性を感じたのだろうという記述に過ぎません。麻生レポートの記述自体に誤りが無いのなら、当然に推定される内容です。「ほのめかして」というのは主観的な表現でどうとでも言えますが、私は千田氏「従軍慰安婦」を読んで麻生氏を「慰安婦制度を考案した責任者のように」には思いませんでした。せいぜい歯車のひとつだったのだろうという認識を抱いた程度です。
手紙で謝罪したのは事実なのでしょうが、それは1996年のことで、実際にどのように謝罪したのかは分からず、おそらくは90年代に入って従軍慰安婦問題が再注目された際に天児氏が取材などで迷惑を受けたことに対する心遣いといった意味合いではないかと個人的には思っています。
天児氏が「三一書房講談社」に改訂を求めたのも事実ですが、具体的にどこが間違いかの指摘なく、ただ「ほのめかして」いるなどと言われて20年前の本を改訂するなど現実的ではありません。

天児都氏の批判内容

天児氏の「慰安婦問題の 問いかけているもの」という論文については、東機貿という会社のサイトに上げられています。ここに千田氏「従軍慰安婦」について天児氏が問題と考える点が列挙されています。

 問題点をあげてみます。
(1)従軍と慰安婦を結んで造語をしたこと――従軍看護婦など軍属の身分を表す用語と並べて「従軍慰安婦」という造語にしたため、従軍には強制の意味が含まれるので、これが容易に強制連行に結びつき、強制連行が性的奴隷を想像させ、現在の混乱のもととなっています。
(2)根拠なしに強制連行と結びつけたこと――支度金1000円を払って連れて来たという文中に強制連行されたと書く矛盾があります。
(3)娼婦連れで戦った唯一の軍隊として品位を落としたこと――植民地に軍隊を出したヨーロッパ各国やアメリカにも慰安婦はいました。麻生論文の中にそれらの慰安所管理のデータが含まれています。
(4)麻生軍医が朝鮮人慰安婦強制連行の責任者のようにほのめかして書いたこと――韓国から責任者の処罰などの要求が政府に届いた頃に私は多くの人たちから謝罪しろと言われ叩かれました。父は産婦人科医だったので慰安婦の検診に呼び出され、昭和13('38)年1月2日にそれを行い、1年半後の昭和14('39)年6月30日の軍医会同という軍医の会で講演をして論文を残しています。その中に80名の朝鮮人と20名の邦人を診た記述があるのですが、その論文のために朝鮮人が強制連行されるようになったと千田氏は言っているのです。
(5)麻生の論文は娼楼でない軍用娯楽所設立を希望しているのに、千田氏は娼婦は不可欠のものとして読み違えられたこと。

http://www.tokibo.co.jp/vitalite/pdf/no32/v32p05view.pdf

従軍慰安婦」というネーミングが気に入らない、支度金を払っているのだから強制じゃない、など天児氏本人の意に沿わない、と言った程度の難癖に過ぎません。それ以外の部分も具体的な記述をあげることなく「ほのめかし」といった表現で叩いています。(3)に至っては、麻生論文の欧米の各事例についての記述は千田氏「従軍慰安婦」の中にも引用されているのですから「娼婦連れで戦った唯一の軍隊」と言った表現をしているはずもなく、自己矛盾を起こしています*2
(5)の場合は、「娼婦は不可欠のもの」と認識したのは日本軍であり、事実がそれを裏付けており、麻生論文が「娼楼でない軍用娯楽所設立を希望」していたとしても千田氏が追及されるのは筋違いでしかありません。

天児都氏の主張は否定論者のそれに過ぎず、Wikipediaの「千田夏光」の項目に記載するならば、そういった側面にも触れなければ一方的に過ぎます。


ちなみに天児氏の論文にも色々見過ごせない部分がありますが、以下の部分はかなり重要です。

無断写真使用には著者と出版社に国際弁護士事務所を通じて再度手紙を送りましたが返事をよこさないので催促してもらうように弁護士に頼みましたが、これ以上すると裁判になり慰安婦問題に立ち入り、日弁連はあなたと立場が違うから弁護できないと言われました。

http://www.tokibo.co.jp/vitalite/pdf/no32/v32p05view.pdf

「あなたと立場が違うから弁護できない」と言ったのが弁護士とも日弁連とも取れる文章ですが、日弁連だとしたら大問題です。日弁連じゃなく天児氏が依頼した弁護士個人ならありうるかも知れませんが、それでもこの通り発言したとは考えにくいですね。勝ち目が無いから薦めない、とか専門外だから自分では弁護できない、などならあるでしょうが、日弁連の立場が違うからと言っていたら弁護士の責務が果たせません。日弁連慰安婦問題で特定の立場を取り自分の正当な主張を妨害していると「ほのめかし」ているような記述で、色んな意味でかなり違和感を覚える部分です。


原善四郎元少佐に関する部分

原善四郎少佐の証言の創作
従軍慰安婦 正編』の中で原善四郎(関東軍参謀)に面会し、「連行した慰安婦は八千人」との証言を引き出したとの記述がある。しかし、原の軍歴に間違いがあったため『正論』や、『諸君!』で面会した事実に相次いで疑問が投げられた。この原証言に関する記載について1993年、現代史研究家の加藤正夫が「千田夏光著『従軍慰安婦』の重大な誤り」(『現代コリア』1993年2・3月号)を発表。加藤が千田夏光本人に矛盾点を問い詰めたところ、千田は原証言は実際に行ったインタビューではなく、千田自身がすべて創作したことを認めた[1]。また関東軍特種演習が慰安婦を集めたという記述については、島田俊彦(武蔵大学教授)の『関東軍』(中央公論社 1965年)に載っていた話を引用したと千田は答えた[1]。その島田の著作も出典はなく「慰安婦を集めた」と記載されているだけであった。

http://www.tokibo.co.jp/vitalite/pdf/no32/v32p05view.pdf

これに関しては「加藤正夫千田夏光著『従軍慰安婦』の重大な誤り」『現代コリア』1993年2・3月号、p55-6」を未見のため断言はできませんが、「「連行した慰安婦は八千人」との証言を引き出したとの記述」については、「従軍慰安婦」にはありません。
実際の記述は以下の通りです。

P97
「話題を変えます。七十万の兵隊に二万人の慰安婦が必要とはじき出した根拠というか基準は何だったのですか。兵隊の欲求度や所持金や女性の肉体能力から計算したと言われていますが」
「陸軍大学ではそんな事は教えてくれませんし、後方担当参謀業務として教えられるのは弾薬糧秣などの補給のことばかりです。だからどのようにして算出したかと言われても困りますが、はっきり憶えていないけど、それまでの戦訓つまりシナ事変(日中戦争)の経験から算出したのではなかったかと思います。それに一部に二万人と言われたが、実際に集まったのは八千人ぐらいだったのです。(略)」

この記述は、島田俊彦氏の「関東軍」の記載とほぼ同じ内容で、千田氏が引用したこと自体は事実かも知れませんが、書かれている内容が間違っているという根拠にはなりません。

関東軍━在満陸軍の独走』 島田俊彦 著 1965
中公新書 P176 
41年の関東軍特別演習に際して、関東軍参謀原善四郎中佐は軍慰安婦2万人が必要と計算し、朝鮮側に割り当てたが、実際には8000人が集められた、と言う。

http://kurokango.blog50.fc2.com/?mode=m&no=948

「千田自身がすべて創作したことを認めた」のかどうかはわかりません。ただ、「吉見教授が慰安婦の強制連行は無かったと認めた」というデマが流布されている現状*3を踏まえると、無批判に受け入れるのは危険に思えます。少なくとも、島田氏の「関東軍―在満陸軍の独走」の記述を見る限り、千田氏が内容を創作したとは言えないでしょう。

なお、Wikipediaでは「その島田の著作も出典はなく「慰安婦を集めた」と記載されているだけであった」と書かれていますが、新書に出典が掲載されないのはよくあることですし、そもそも島田氏は1942年7月から軍令部嘱託として戦史編纂に関わっていますので*4、1941年9月から1943年8月まで参謀本部部員だった原善四郎中佐と直接面識があっても不思議ではありません。

つまり、千田氏が当該部分を島田氏の著作から引用したのだとしても、結果として内容が間違っているということにはならないわけです。

*1:Wikipediaの注釈としては「李榮薫『大韓民国の物語』 永島広紀訳 文藝春秋 2009」と記載。

*2:ちなみに、千田氏は「欧米には”軍の直接管理する売春婦”はなかった。町の女を利用させていた。」と書いており、日本と欧米の違いを述べています。70年代に判明していた事実からは、この記述が間違いとはいえません。

*3:http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20120603/1338689200

*4:http://e-lib.lib.musashi.ac.jp/2005/kiyou/sakuin/008s.html