「2015年2月25日(水)「資料から読み解く慰安婦問題」(探究モード)」で林教授が話してた内容で、当初は海外に連行されていく慰安婦に対して外務省が旅券を発行していたが、太平洋戦争になってからは旅券を出さないようになり、軍が証明書を出すようになった、というものがあったかと思います。
外務省の態度がなぜ太平洋戦争開戦以後に変わったのか、私の理解ですが簡単に説明しておきます。
元々日中戦争当時、日本から中国への渡航に“旅券”は必要ありませんでした。ラジオでは「旅券」と言っていたようですが、正確には1937年8月31日付「不良分子ノ渡支ニ関スル件」に基づく身分証明書を含んでいます。
Question
戦前、日本人が中国へ渡航する際に旅券は必要でしたか。
http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000075777Answer
1878年(明治11年)に定められた「海外旅券規則」には、旅券携帯免除の正式な決まりはありませんでした。しかし、明治時代後期になると、日本から中国へ渡航する者が非常に増加し、旅券発給事務が追いつかなかったことから、中国渡航に際しては旅券を携帯しない例が多くみられました。
その後、1917年(大正6年)に中国政府が中国への渡航者に対して旅券の携帯を義務づける旨の通牒を発したことにより、この問題について日中間で交渉が行われました。その結果、日本人は中国への渡航に際して旅券を携帯しなくてよいことが正式に認められました。さらに、1918年(大正7年)1月15日付で駐中国芳沢謙吉臨時代理公使より陸徴祥外交総長に宛てて「外国人本邦入国規則ノ除外ニ関スル交換公文」が発せられたことにより、日中相互に旅券を免除することが確認されました。
外務省記録「旅券査証出入国ニ関スル諸外国ノ法規並取扱関係雑件」にはこの間の経緯に関する記録が含まれています。
(http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/qa/sonota_01.html)
これと同じく中国への渡航に際して旅券は不要である旨が1937年8月31日付「不良分子ノ渡支ニ関スル件」で言及され、その上で「不良分子」の渡航を防止するために正式旅券を所有する者か警察・官公署が発給した身分証明書を持つ者に制限したわけです。
身分証明書の発行は警察・派遣官公署の責任によってなされることになっており、就業詐欺や威圧による売春婦連行の場合は認められないはずですが、そのような違法な売春目的渡航であったとしても、旅券ではなく身分証明書を使っている場合は、身分証明書を発行した警察や派遣官公署の責任であり、外務省の責任ではなく、省としての責任を回避できたわけです。
これが太平洋戦争開戦に伴い慰安婦連行地域が拡大すると、身分証明書で渡航できた中国以外に売春目的で連行することが必要になり、必然的に外務省が省の責任で売春目的渡航者に旅券を発給することが迫られることになります。この明らかな国際法違反行為に対して外務省は責任を負いたくなかったわけです。
このため、1942年1月10日から1月14日にかけて、台湾総督府蜂谷外事部長と東郷外務大臣の間でやり取りがなされます。
http://ameblo.jp/scopedog/entry-10059934009.html9−1.南洋方面占領地に於ける慰安所開設に関する件[台湾総督府外事部長](昭17・1・10)
昭和17 九六四 略 台北 1月10日後発 南米
本省 10日後着
東郷外務大臣 蜂谷外事部長
第10号
(南方占領地に於ける慰安所開設に関する件)
南洋方面占領地に於て軍側の要求に依り慰安所開設の為渡航せんとする者(従業者を含む)の取扱振りに関し何分の御指示相煩度し(了)
軍が南方占領地に慰安所を開設するため、台湾から渡航しようとする慰安所経営者と従業員に旅券を発行していいかと、問い合わせています。
http://ameblo.jp/scopedog/entry-10059934009.html9−1.南洋方面占領地に於ける慰安所開設に関する件[外務大臣](昭17・1・14)
主管 亜米利加局長 主任 第三課長 昭和十六年一月十三日起草
電送第1545号
昭和17年1月14日前後5時35分発(※前後のチェック判別できず)
宛 台湾総督府 蜂谷外事部長 発 外務大臣
件名 南方方面占領地に対し慰安婦渡航の件
略 第六号 「(印)外機密」
貴電第10号に関し
此の種渡航者に対し(※(以下削除部分)「旅券を発給することは面白からざるに付」)(※以下追記部分)「ては」軍の証明書に依り(※(以下削除部分)軍用船にて)渡航せしめられ度し
外務省から返答は、慰安所経営者と従業員に対しては「軍の証明書」で渡航させるように、というものでした。最終的には削除されていますが、慰安所関係者に対する旅券発行は「面白からざる」という記載まで行っています。ラジオで林教授が言及していたのがこの電信です。
外務省の対応
結局のところ、外務省としては一貫して慰安所関係者に対する旅券発給を拒否しています。
日中戦争中は、中国渡航に旅券は必要ないという規定と1937年8月からは旅券のない者は警察・派遣官公署の発行する身分証明書が必要とする通知を根拠として、外務省が責任を負う形での慰安所関係者への旅券発給を避けました。
太平洋戦争開戦以降、旅券が必要となるはずの南方占領地への渡航に際しても、慰安所関係者に対しては「軍の証明書」を使わせ、外務省としては旅券を発給しない方針を採ったわけです。
ある意味で、軍部の国際法違反行為に加担することを避ける省益を優先する対応だったと言えます。もちろん別の見方をすれば、自らの手を汚さなかっただけで軍・政府による国際法違反行為を黙認したことに違いはありませんが。
太平洋戦争開戦時に外務省が良心に目覚めて、旅券発給を拒否したわけではなく、元々あった中国渡航の特殊事情が戦争拡大に伴い、改めて外務省が売春目的渡航の責任を負うか問われ、それを回避したという流れだと言えるでしょう。
また、内地や植民地から軍慰安婦を占領地に移送する行為が国際条約に違反する極めて違法性の高い行為であることを外務省は理解していたとも言えますね。