1944年から敗戦までの日本陸軍師団数の推移(歩兵師団)

1943年末の時点で、日本陸軍の歩兵師団数は70個に達しています。
太平洋戦争開戦時(1941年12月)から1943年までの日本陸軍師団数の推移
四単位師団が2個、三単位師団が58個、独立歩兵大隊から成る治安師団が10個という内訳です。

四単位師団 G1D, 7D
三単位師団 G2D, 1D, 2D, 3D, 4D, 5D, 6D, 8D, 9D, 10D, 11D, 12D, 13D, 14D, 15D, 16D, 17D, 18D, 19D, 20D, 21D, 22D, 23D, 24D, 25D, 26D, 27D, 28D, 29D, 30D, 31D, 32D, 33D, 34D, 35D, 36D, 37D, 38D, 39D, 40D, 41D, 42D, 43D, 46D, 47D, 48D, 51D, 52D, 53D, 54D, 55D, 56D, 57D, 61D, 71D, 104D, 110D, 116D
独立歩兵大隊から成る治安師団 58D, 59D, 60D, 62D, 63D, 64D, 65D, 68D, 69D, 70D

近衛師団は近衛第2師団に改称。

1944年1月

71個。
(第49師団)創設。
第49師団は独立第64歩兵団から改編。

第49師団 (歩106、歩153、歩168)

四単位師団が2個、三単位師団が59個、独立歩兵大隊から成る治安師団が10個。

1944年3月

72個。
(第77師団)創設。

第77師団 (歩98、歩99、歩100)

四単位師団が2個、三単位師団が60個、独立歩兵大隊から成る治安師団が10個。

1944年4月

78個。
(近衛第3師団、第44師団、第72師団、第81師団、第86師団、第91師団)の6個師団創設。
第86師団は後に独立混成第98旅団を指揮下に。第91師団は千島第1守備隊から改編。

近衛第3師団 (近衛歩8、近衛歩9、近衛歩10)
第44師団 (歩92、歩93、歩94)
第72師団 (歩134、歩152、歩155)
第81師団 (歩171、歩172、歩173)
第86師団 (歩187、歩188、歩189)
第91師団 (独歩282大、独歩283大、独歩284大、独歩286大、独歩487大、独歩488大、独歩489大、独歩491大、独歩493大)

四単位師団が2個、三単位師団が65個、独立歩兵大隊から成る治安師団が11個。

1944年5月

81個。
(第50師団、第107師団)の2個師団創設、(第109師団)の1個師団復活。
第50師団は台湾で編成。第107師団はアルシャン駐屯隊、独立混成第7連隊から改編。第109師団は父島守備隊基幹で編成。

第50師団 (歩301、歩302、歩303)
第107師団 (歩90、歩177、歩178)
第109師団 (混成1旅(独歩303大、独歩304大、独歩305大、独歩306大、独歩307大、独歩308大)、混成2旅(独歩309大、独歩310大、独歩311大、独歩312大、独歩313大、独歩314大)、混成第1連隊)

第109師団は父島守備隊を基幹として編成・復活した師団で、独立歩兵大隊12個に混成連隊を加えた他の独立歩兵大隊から成る治安師団に比べて大規模な部隊。小笠原兵団の主力となり、混成第1旅団が父島、混成第2旅団が硫黄島、混成第1連隊が母島に配備されています。
四単位師団が2個、三単位師団が67個、独立歩兵大隊から成る治安師団が11個、特殊な師団1個(109D)。

1944年6月

85個。
(第100師団、第102師団、第103師団、第105師団)の4個師団創設。
第100師団は独立混成第30旅団からの改編。第102師団は独立混成第31旅団からの改編。第103師団は独立混成第32旅団からの改編。第105師団は独立混成第33旅団と独立混成第26連隊からの改編。いずれもフィリピンで編成。

第100師団 (独歩163大、独歩164大、独歩165大、独歩166大、独歩167大、独歩168大、独歩352大、独歩353大)
第102師団 (独歩169大、独歩170大、独歩171大、独歩172大、独歩173大、独歩174大、独歩354大、独歩355大)
第103師団 (歩79旅(独歩175大、独歩176大、独歩178大、独歩356大)、歩80旅(独歩177大、独歩179大、独歩180大、独歩357大))
第105師団 (歩81旅(独歩181大、独歩182大、独歩183大、独歩185大)、歩82旅(独歩184大、独歩186大、独歩358大、独歩359大))

四単位師団が2個、三単位師団が67個、独立歩兵大隊から成る治安師団が15個、特殊な師団1個。

1944年7月

94個。
(第66師団、第73師団、第84師団、第93師団、第111師団、第112師団、第115師団、第117師団、第118師団)の9個師団創設、(第108師団、第114師団)の2個師団復活で、増加数は11個。一方で(第29師団と第43師団)の2個師団減。
第66師団は独立混成第46旅団からの改編。第111師団と第112師団は第9独立守備隊からの改編。第115師団は独立混成第7旅団から、第117師団は独立混成第4旅団から、第118師団は独立混成第9旅団からの改編。

第66師団 (歩249、歩304、歩305)
第73師団 (歩196、歩197、歩198)
第84師団 (歩199、歩200、歩201)
第93師団 (歩202、歩203、歩204)
第111師団 (歩243、歩244、歩245)
第112師団 (歩246、歩247、歩248)
第115師団 (独歩26大、独歩27大、独歩28大、独歩29大、独歩30大、独歩385大、独歩386大、独歩387大)
第117師団 (独歩203大、独歩204大、独歩205大、独歩206大、独歩388大、独歩389大、独歩390大、独歩391大)
第118師団 (独歩223大、独歩224大、独歩225大、独歩226大、独歩392大、独歩401大、独歩403大)

復活した第108師団は第9独立守備隊からの改編。第114師団は独立混成第3旅団からの改編。

第108師団 (歩240、歩241、歩242)
第114師団 (独歩199大、独歩200大、独歩201大、独歩202大、独歩381大、独歩382大、独歩383大、独歩384大)

消滅した第29師団はグアム島等で全滅、第43師団はサイパン島で全滅。

第29師団 (歩18(海没)、歩38(グアム)、歩50(テニアン)):グアム
第43師団 (歩118(海没)、歩135、歩136)サイパン

四単位師団が2個、三単位師団が72個、独立歩兵大隊から成る治安師団が19個、特殊な師団1個。

1944年10月

96個。
(第94師団と第119師団)の2個師団増加。
第94師団は独立第12守備隊と独立第18守備隊から編成。第119師団は第8国境守備隊から改編。

第94師団 (歩256、歩257、歩258)
第119師団 (歩253、歩254、歩255)

四単位師団が2個、三単位師団が74個、独立歩兵大隊から成る治安師団が19個、特殊な師団1個。

1944年11月

97個。
(第120師団)の1個師団増加。

第120師団 (歩259、歩260、歩261)

四単位師団が2個、三単位師団が75個、独立歩兵大隊から成る治安師団が19個、特殊な師団1個。

1945年1月

105個。
(第121師団、第122師団、第123師団、第124師団、第125師団、第126師団、第127師団、第128師団)の8個師団増加。
第122師団は第4国境守備隊から編成。第123師団は独立混成第73旅団から改編。第126師団は第12国境守備隊から編成。第127師団は第9国境守備隊から編成。第128師団は第1・第2・第11国境守備隊から編成。

第121師団 (歩262、歩263、歩264)
第122師団 (歩265、歩266、歩267)
第123師団 (歩268、歩269、歩270)
第124師団 (歩271、歩272、歩273)
第125師団 (歩275、歩276、歩388)
第126師団 (歩277、歩278、歩279)
第127師団 (歩280、歩281、歩282)
第128師団 (歩283、歩284、歩285)

四単位師団が2個、三単位師団が83個、独立歩兵大隊から成る治安師団が19個、特殊な師団1個。

1945年2月

128個。
ここで一気に23個師団増加します。多くは本土決戦師団です。

第88師団は樺太混成旅団と第30警備隊から編成(第7師団から歩兵第25連隊を編入)。第89師団は第77歩兵団、独立混成第43旅団、独立混成第69旅団から改編。第132師団は第39師団と第68師団から編成、第133師団は第63師団と第70師団から編成。

第79師団 (歩289、歩290、歩291)
第88師団 (歩25、歩125、歩306)
第89師団 (独歩294大、独歩295大、独歩296大、独歩297大、独歩419大、独歩420大、独歩421大、独歩422大、独歩423大、独歩424大、独歩460大、独歩461大)
第96師団 (歩292、歩293、歩294)
第131師団 (独歩591大、独歩592大、独歩593大、独歩594大、独歩595大、独歩596大、独歩597大、独歩598大)
第132師団 (独歩599大、独歩600大、独歩601大、独歩602大、独歩603大、独歩604大、独歩605大、独歩606大)
第133師団 (独歩607大、独歩608大、独歩609大、独歩610大、独歩611大、独歩612大、独歩613大、独歩614大)
第140師団 (歩401、歩402、歩403、歩404)
第142師団 (歩405、歩406、歩407、歩408)
第143師団 (歩409、歩410、歩411、歩412)
第144師団 (歩413、歩414、歩415、歩416)
第145師団 (歩417、歩418、歩419、歩420)
第146師団 (歩421、歩422、歩423、歩424)
第147師団 (歩425、歩426、歩427、歩428)
第150師団 (歩429、歩430、歩431、歩432)
第151師団 (歩433、歩434、歩435、歩436)
第152師団 (歩437、歩438、歩439、歩440)
第153師団 (歩441、歩442、歩443、歩444)
第154師団 (歩445、歩446、歩447、歩448)
第155師団 (歩449、歩450、歩451、歩452)
第156師団 (歩453、歩454、歩455、歩456)
第157師団 (歩457、歩458、歩459、歩460)
第160師団 (歩461、歩462、歩463、歩464)

四単位師団は1個(7D)減り、1個。
三単位師団は4個(7D、79D、88D、96D)増え、87個。
この他、独立歩兵大隊から成る治安師団が23個、特殊な師団1個、本土決戦師団が16個。
第150師団と第160師団は朝鮮で編成された沿岸防備師団ですが、本土決戦師団の一部としてカウントしています。

1945年4月

139個。
さらに11個師団増加。
第129師団は独立混成第19旅団から、第130師団は独立混成第19旅団から、第161師団は独立混成第62旅団から改編。

第129師団 (歩91旅(独歩98大、独歩278大、独歩279大、独歩280大)、歩92旅(独歩101大、独歩588大、独歩589大、独歩590大))
第130師団 (独歩97大、独歩99大、独歩100大、独歩277大、独歩281大、独歩620大、独歩621大、独歩622大)
第161師団 (歩101旅(独歩475大、独歩476大、独歩477大、独歩528大)、歩102旅(独歩478大、独歩479大、独歩480大、独歩481大))
第201師団 (歩501、歩502、歩503)
第202師団 (歩504、歩505、歩506)
第205師団 (歩507、歩508、歩509)
第206師団 (歩510、歩511、歩512)
第209師団 (歩513、歩514、歩515)
第212師団 (歩516、歩517、歩518)
第214師団 (歩519、歩520、歩521)
第216師団 (歩522、歩523、歩524)

四単位師団が1個、三単位師団が87個、独立歩兵大隊から成る治安師団が26個、特殊な師団1個、本土決戦師団が24個。

1945年5月

158個。
さらに19個師団増加。

第320師団 (歩361、歩362、歩363)
第221師団 (歩316、歩317、歩318)
第222師団 (歩307、歩308、歩309)
第224師団 (歩340、歩341、歩342)
第225師団 (歩343、歩344、歩345)
第229師団 (歩334、歩335、歩336)
第230師団 (歩319、歩320、歩321)
第231師団 (歩346、歩347、歩348)
第234師団 (歩322、歩323、歩324)
第303師団 (歩337、歩338、歩339)
第308師団 (歩310、歩311、歩312)
第312師団 (歩358、歩359、歩360)
第316師団 (歩349、歩350、歩351)
第321師団 (歩325、歩326、歩327)
第322師団 (歩313、歩314、歩315)
第344師団 (歩352、歩353、歩354)
第351師団 (歩328、歩329、歩330)
第354師団 (歩331、歩332、歩333)
第355師団 (歩355、歩356、歩357)

四単位師団が1個、三単位師団が87個、独立歩兵大隊から成る治安師団が26個、特殊な師団1個、本土決戦師団が43個。

1945年6月

156個。
(第24師団、第62師団)の2個師団減。
消滅した第24師団と第62師団は沖縄戦で全滅しています。

第24師団 (歩22、歩32、歩89) 沖縄
第62師団 (歩63旅(独歩11大、独歩12大、独歩13大、独歩14大)、歩64旅(独歩15大、独歩21大、独歩22大、独歩23大) 沖縄

四単位師団が1個、三単位師団が86個、独立歩兵大隊から成る治安師団が25個、特殊な師団1個、本土決戦師団が43個。

1945年7月

163個。
8個師団増加。(第26師団)の1個師団減。

第134師団 (歩365、歩366、歩367)
第135師団 (歩368、歩369、歩370)
第136師団 (歩371、歩372、歩373)
第137師団 (歩374、歩375、歩376)
第138師団 (歩377、歩378、歩379)
第139師団 (歩380、歩381、歩382)
第148師団 (歩383、歩384、歩385)
第149師団 (歩274、歩386、歩387)

消滅した第26師団はレイテ島で全滅しています。

第26師団 (独歩11、独歩12、独歩13) レイテ

四単位師団が1個、三単位師団が85個、独立歩兵大隊から成る治安師団が25個、特殊な師団1個、本土決戦師団が51個。

1945年8月

164個。
1個師団増加。第158師団は師団長が決まるまでに敗戦が確定します。

第158師団 (歩389、歩390、歩391)

四単位師団が1個、三単位師団が85個、独立歩兵大隊から成る治安師団が25個、特殊な師団1個、本土決戦師団が52個。

まとめ

日中戦争開戦時(1937年7月)に17個師団だった日本陸軍師団数は、太平洋戦争開戦時(1941年12月)には51個師団にまで増え、さらに敗戦時(1945年8月)には164個師団にまで達しています(歩兵師団のみ、飛行師団、戦車師団、高射師団などは含まず)。
本土決戦師団を除けば、敗戦時まで四単位師団だったのは近衛第2師団のみでした。
約3分の1が本土決戦師団で、1945年になってからわずか8か月足らずの間に編成された師団数は70個に上ります。