2018年10月30日の韓国大法院判決は、賠償については1965年請求権協定には含まれないという解釈の下、被告企業に賠償を命じています。
これに対して日本側は1965年請求権協定で解決済みとは主張していますが、日本政府が公式に賠償すべき事案の存在を認めた上で、1965年請求権協定では賠償も含めて解決されているとまでは主張していません。
日韓両政府の解釈の違いを1点にまとめると、1965年請求権協定に賠償が含まれるか否かに集約されます。
で、そもそも1965年請求権協定には「賠償」という文言は一切含まれていませんので、そりゃ、後になってもめるだろうね、という感想を政府当事者ではない第三者としては抱かざるを得ません。
個人的な意見としては、1965年請求権協定にはっきりと“日本は韓国に対して賠償として経済支援を行う”旨を書いておくべきだったとしか言いようがありません。
例えば1965年請求権協定の条文はこうなっています。
第一条
1 日本国は、大韓民国に対し、
(a)(略)三億合衆国ドル(略)に等しい円の価値を有する日本国の生産物及び日本人の役務を、この協定の効力発生の日から十年の期間にわたつて無償で供与するものとする。(略)
(b)(略)二億合衆国ドル(略)に等しい円の額に達するまでの長期低利の貸付けで、(略)日本国の生産物及び日本人の役務の大韓民国による調達に充てられるものをこの協定の効力発生の日から十年の期間にわたつて行なうものとする。(略)
(略)第二条
http://worldjpn.grips.ac.jp/documents/texts/JPKR/19650622.T9J.html
1 両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、千九百五十一年九月八日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第四条(a)に規定されたものを含めて、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。
(略)
(略)とした部分も含めて、協定中のどこにも「賠償」という文言はありません。経済支援に関する第1条と請求権放棄に関する第2条との関連も明確ではありません。
また、サンフランシスコ平和条約第4条(a)*1にも「賠償」の文言はありません。
これに対して1958年の日・インドネシア平和条約では賠償と経済支援の関連を極めて明確に記載しています。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1958/s33-shiryou-001.htm日本国とインドネシア共和国との間の平和条約
第四条
1 日本国は、戦争中に日本国が与えた損害及び苦痛を償うためインドネシア共和国に賠償を支払う用意がある。しかし、日本国が存立可能な経済を維持すべきものとすれば、日本国の資源は、戦争中に日本国がインドネシア共和国その他の国に与えたすべての損害及び苦痛に対し完全な賠償を行い、かつ、同時に日本国の他の債務を履行するためには十分でないことが承認される。
よつて、
(a) 日本国は、(略)総額二億二千三百八万アメリカ合衆国ドル(略)の価値を有する日本国の生産物及び日本人の役務を、十二年の期間内に、賠償としてインドネシア共和国に供与することに同意する。(略)
(略)
2 インドネシア共和国は、前項に別段の定がある場合を除くほか、インドネシア共和国のすべての賠償請求権並びに戦争の遂行中に日本国及びその国民が執つた行動から生じたインドネシア共和国及びその国民のすべての他の請求権を放棄する。
十分な賠償ではないけれどもこの経済支援の金額でインドネシアは賠償であると認め、それに伴いインドネシアは日本に対する賠償請求権を放棄すると明記されています。
例えば、もし1965年請求権協定が、
第1条 日本国は、植民地支配下で日本国が与えた損害及び苦痛を償うため大韓民国に賠償を支払う用意がある。しかし、日本国が存立可能な経済を維持すべきものとすれば、日本国の資源は、植民地支配中に日本国が大韓民国に与えたすべての損害及び苦痛に対し完全な賠償を行い、かつ、同時に日本国の他の債務を履行するためには十分でないことが承認される。
(・・・経済支援の内容を記載)
第2条 大韓民国は、前条に別段の定がある場合を除くほか、大韓民国のすべての賠償請求権並びに植民地支配中に日本国及びその国民が執つた行動から生じた大韓民国及びその国民のすべての他の請求権を放棄する。
といった内容であったとしたら、2018年になって大法院が賠償を命ずることはなかったでしょうね。
日韓基本条約で植民地支配の不法性について合意に至らず、曖昧にしていたとしても請求権協定の文言が明確であれば、今回の大法院判決の多数意見が認められる余地はありませんでした。
でも、日本は1958年にインドネシアとの条約で記載した文言を1965年の韓国に対しては使わなかったわけですが、なぜでしょうね。
おそらくは“日本は植民地支配でいいことをした"という歪んだ自意識に囚われ、朝鮮半島に対する蔑視とその表裏である優越意識から抜け出せなかったからでしょうねぇ。
その下らないプライド・面子が、将来炎上しかねない契約書の記載を招いたということでしょう。
間抜けなのはどちらなのか。
もっとも、これは外交という側面だけで物を見た場合の話です。インドネシア式の記載にしておけば、日本は賠償の義務からは免れたであろうというのは、国家レベルで見たときの利点にすぎず、個々の被害者の視点ではまた異なる部分があるでしょうが。