「児童移民」に対するイギリス首相の公式謝罪

児童移民とは、イギリスから孤児や貧困家庭の児童などを植民地であるカナダ、オーストラリア、ニュージーランドジンバブエ(旧ローデシア)などに移民させた政策のことです。
1618年から1970年まで350年以上にわたって続き、総数は13万人とも15万人とも言われ、1950年代〜60年代が特に多かったと言われています。

親と死別した純粋な孤児や貧困で止む無く親から離された子どもだけでなく、虐待のため施設に引き取られた子どもや不義の子、未婚女性の子なども植民地に送られました。主導したのは慈善団体や教会などの民間団体です。当時、イギリスの貧しい人たちにとって、植民地への移民は憧れであり、イギリス政府も虐待のために児童移民を認めたわけではありません。政府や慈善団体の言い分としては、「すべて善意で行われた。孤児を孤児院に入れたことまで。非難は不当だ。」「家族の繋がりを優先するのは最近の風潮で、当時は子どもの利益優先で新しい環境を与えた」というものがありました。

しかし、児童移民の犠牲者たちは、実の親が存命の場合でも死んだと聞かされるなど実の親との縁を完全に断ち切られたばかりか、移民先では男児は肉体労働者、女児は家事奉公人として満足な教育も受けられず過酷な労働を強いられた事例やカトリック系の施設内での性的虐待などを受けた事例すらありました。そのような虐待を受けながら成人した元移民児童の中には、育てたことに対する費用請求が為され負債を負った者もいました。移民先で里親に預けられることもなく孤児として差別された多くの児童がいたのです。

児童移民は1970年に終わり、その後全く注目されることなく闇に埋もれましたが、1986年にイギリスのソーシャルワーカーであるマーガレット・ハンフリーズ(Margaret Humphreys)の調査により明るみに出ました。大英帝国の黒い歴史とも言われる児童移民が社会問題化すると、「過ぎ去ったことを蒸し返すな」「教会を誹謗するのか」と言った非難がハンフリーズらに向けられましたが、一方で支援する声も強く、特に社会福祉委員が積極的に調査予算と調査期間をハンフリーズに与え、1987年には児童移民トラストが設立されています("The Child Migrants Trust(児童移民トラスト)"のWebサイト)。

明るみに出た児童移民政策に対する非難の矛先は当然にイギリス政府やオーストラリア政府に向けられました。しかし、オーストラリア政府が公式に謝罪したのは2009年11月16日になってからです。

オーストラリア ケビン・ラッド首相の謝罪

我々は我々の国の歴史の中の醜い過去に対処するために今日ここにいる。そして我々は我々の国家としての謝罪を行うために今日ここにいる。我々は、承諾もなしに子供の時にこの島に送られた人々、家族から引き離された子供であり、幾度も施設で虐待された子供である“忘れられたオーストラリア人”に謝罪を伝えたい。その失われた幼年時代の悲劇、絶対的な悲劇に我々は謝罪する。我々の保護下にありながら、あなたがたに行われたすべての不公正を謝罪する。

国家として、我々は今、本来受けるべき保護を受けてこなかった人々に対応しなければならない。真実は、これが醜い歴史であったということである。我々がこの過去の悪魔に全面的に立ち向かおうとするならば、我々はその醜さを公平に語らねばならないのである

イギリス政府の謝罪はその3ヵ月後、2010年2月24日になされています。

Brown apologises for Britain's 'shameful' child migrant policy
PM announces £6m fund for victims of system that forcibly sent British children to Commonwealth countries until late 1960s

Owen Bowcott
guardian.co.uk, Wednesday 24 February 2010 13.45 GMT

Gordon Brown today offered a "full and unconditional" apology to tens of thousands of British children exiled overseas who suffered physical and sexual abuse in orphanages and labour farms in Commonwealth countries.

http://www.guardian.co.uk/society/2010/feb/24/british-children-sent-overseas-policy

イギリス ゴードン・ブラウン首相の謝罪
1960年代の後半まで、イギリス政府は、長期間にわたって児童移民のスキームをサポートし続けていた。すべての元児童移民および彼らの家族の皆さん、我々は真に謝罪する。彼らは苦しんだ。彼らを保護する代わりに、この国が彼らに背信的であったことを謝罪する。彼らの声に耳を傾けなかったこと、助けを求める彼らの叫びに気づかなかったことを謝罪する。そして、正当な完全かつ無条件の謝罪を行うこの重要な日を迎えるまでに、長い時間が費やされたことを我々は謝罪する


「当時は合法だった」とか「民間業者がやった」とかいう反論が言い訳にはなりません。
さて、構造的な人権侵害が社会にあるときの国家の態度について、Apemanさんが6段階に分類しています。

(抜粋)
(1)不正義を解消すべく、適切な手だてを講じる努力を続けているのだが、解決には至っていない場合。
(2)無関心ゆえに、放置している場合。
(3)やる気はあるが誤った方策をとり、解決し損なったり事態を悪化させる場合。(2)と比べてどちらの責任が思いかは議論の余地があるでしょう。
(4)その不正義を消極的に容認している場合。
(5)その不正義を積極的に欲し、非公式に利用する場合。
(6)その不正義を積極的かつ公式に利用し、公的制度の中に組み込んだ。

http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20130112/p1

児童移民について言えば、(5)ないし(6)に分類できるでしょうね。

ちなみに、児童移民の犠牲者13万人の中には、厳しい人種差別政策が採られたジンバブエで白人支配者層と同化した者や、孤児院ではなく里親に預けられたニュージーランドでは孤児として強制労働などの虐待に遭った犠牲者は少なかったと言えるかも知れません。しかし、だからと言ってそのような児童を犠牲者数から除けと言えば、当然その人間性を疑われるでしょうね。
また、当初多かったカナダへの児童移民では虐待などの報告から、イギリス政府は徐々に規制を強めカナダへの児童移民を廃止しています。しかし、だからと言ってイギリス政府の善意を過大評価するべきでもありません。


(英豪首相の謝罪文などは、映画「オレンジと太陽」のプログラムの解説文を参考にしました)