確かに余計なお世話だけど

この件。

女性手帳>政府、配布見送り 「余計なお世話」批判で
毎日新聞 5月28日(火)11時29分配信

 政府は28日、若い女性向けに妊娠・出産の知識を広めるため導入を検討していた「女性手帳」(仮称)の配布を見送る方針を固めた。女性を中心に「国が個人の人生の選択に口を挟むべきではない」などとの批判が起こったことを考慮した。森雅子少子化担当相は同日の会見で「妊娠・出産に関する情報提供は重要だが、手段や内容などの詳細は決定していない」と説明した。
 手帳は、少子化対策を議論している政府の作業部会「少子化危機突破タスクフォース」で、晩婚化や晩産化が進む中、早い時期に妊娠・出産について正しい知識と関心を持ってもらうのが対策に有効として、来年度からの配布を目指していた。
 これに対し「女性だけに配布するのはおかしい」などと批判や反発の声が相次いで寄せられ、国会審議の中でも、野党側から批判が出された。このため作業部会は「手帳の形にするのは困難」と判断。28日夕方に取りまとめる予定の報告書では、妊娠・出産について情報提供にとどめる方向だ。
 女性手帳について反対する声明を出していた女性市民グループ「全日本おばちゃん党」代表代行の谷口真由美大阪国際大准教授は「提案した委員は、女性手帳がなぜこれほど批判されたのか背景を理解する必要がある。再び的外れの施策が出されないか、今後も監視していきたい」と語った。
 医師で昭和女子大客員教授海原純子さんは「若いうちに産んだ方がいいことぐらい女性は既に知っており、手帳配布の見送りは当然だ。ただ排卵周期や性感染症の予防法など、より細かい知識については理解が十分進んでいないのも事実。性別を問わず、健康について学ぶ機会を増やしつつ『男は稼ぎ、女が家事・育児をする』といった古い感覚から脱皮することが大切だ」と話す。【大迫麻記子、反橋希美、太田圭介】

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130528-00000025-mai-soci

「若いうちに産んだ方がいいことぐらい女性は既に知っており」という海原客員教授の発言も理解できないではないですが、知識として教育すること自体は悪いことではないでしょう。ただ「女性手帳」という形式では有害無益なだけで。
セクシャル・マイノリティだけでなく、身体的な理由で子どもが産めない人や一生結婚しないとか一生子どもはいらないとか充分考えて決めた人にとっては、啓発自体無意味であり、場合によっては圧力となることを踏まえれば有害ともなりえます。ただ若年時に一生結婚しないとか一生子どもはいらないとか充分考えて決める人はそう多くはないとも思えます。ただ何となくそういう気になれない、というだけの人も多いのではないかと思います。男女とも。
例えば、女性が35歳までに出産しよう、妊娠までに2年くらいは二人だけで新婚生活を満喫したい、結婚までには1年は付き合ってる期間がほしい、と希望するのであれば31歳時点で付き合ってる相手がいないと、となりますが、そういう計画を考える教育はあってもいいかもとは思います。もちろん正解や模範解答があるわけではありませんので、結婚せず一人で生きていく場合の人生設計もありでしょうし、仲の良い友人と一生生活することを考えるのもありでしょう。もちろん、出産、育児だけじゃなく、老親を扶養することや自分自身の老後の生活設計など教育のテーマとしては面白いと思うのですがどうでしょうか。
これは言うまでもなく男性だって考えるべきことです。親が30歳のときの子どもであれば、親のすねをかじれるのはせいぜい30代までですから、それまでに自活して自らの家族を養えるようにしなきゃいけませんし、30歳のときに子どもを希望するなら、自分が50歳くらいの時に多くの学費が必要になります。もし50歳になってから子ども作ればいいと考えると、70歳の時に子どもの学費を工面しなければならず、相当計画的に生活しないと難しいことになります。一生独身で生きるにしても、男性でも60歳、70歳になれば仕事ができなくなりますから、年金での生活や老人ホームなどを考慮する必要があるでしょう。
こういった自分の一生を想像し将来像を思い描く中で、自分の人生にかかわってくる社会制度などを学ぶのは有用なことだと思いますので、こういうことを義務教育でやれば良いでしょう。出産の適齢期などはその中のごく一部の話題に過ぎず、それだけを取り出して「女性手帳」なるものを考案する時点で発想が貧困なんだろうなと思いますね。
それよりも高齢で出産する際や不妊治療をするなら、どのような行政支援があるのか、子どもに障害があった場合はどうか、養子をもらうにはどうすればいいか、家族間での問題はどこに相談するのか、離婚や死別後の単親家庭の支援などなど重要なことはいくらでもあります。

なぜ「女性手帳」なる発想が生まれるのか?

というと、単純に言えば、多種多様な人生というものを想定していないからでしょうね。モデルケースを想定して、その道を行くにはどうすればよいかを教示するという思考から「女性手帳」という発想が生まれたのだと思います。
個人的な意見ですが、まず個人があって、その個人の望む生き方があり、それを制約するとの他の個人とのかかわりです。他の個人とのかかわりを損なわない範囲での生き方であればそれは尊重されるべきで、国はそのために制度設計するべきだと考えます。アメリカなどでは、個人の多種多様な生き方を国が保護・支援すべきという考え方が浸透しているように思います。もちろん、それが全てできているわけではありませんし、多くの問題を抱えてもいますが、国民が国家に望む役割として、そのような考え方があるようです。
一方で、日本の場合、個人の望む生き方に対して「行き過ぎた個人主義」と言ったレッテルが貼られることが多く、全体主義的にモデルとなる“あるべき生き方”のみが国に保護・支援されるべきという考え方が日本人の思考の底にあるように思います。
結婚しない生き方や同性婚に対する国や国民全体の冷たい態度は、そういった全体主義的な思考が根本にあるように思えます。