大沼氏は次の生贄

アジア女性基金を通じての大沼氏の変節は、アジア女性基金が為しえた功績を分かち持つ大沼氏自身をも毀損するものですが、過去半世紀において最も強烈な反動の嵐の中では保身のためやむをえない点もあるでしょう。当事者の思いとしても、救済の申し出を拒絶した韓国側団体に対する逆恨みもあるでしょうから、それが韓国側団体に対する非難につながったとしても、個人としての大沼氏を全面的に責める気には私はなれません。

しかし、慰安婦問題否認が事実上完成した今、歴史修正主義勢力の矛先は他の戦争責任問題に向けられつつあります。そのひとつは、サハリン残留韓国人問題です。

サハリン残留韓国人は「4万3千人」の大ウソ

産経新聞 9月14日(日)12時36分配信
 産経新聞の連載小説『アキとカズ』は、ついに双子の姉・アキが24年ぶりに樺太から祖国・日本へ帰国を果たす。ソ連(当時)からも日本政府からさえも忘れられた樺太の日本人の存在を知らしめ、固く閉じられた“鉄の扉”をこじ開けるきっかけとなったのは、アキがソ連の最高権力者・フルシチョフ宛てに打った一通の電報であった。
 このエピソードは大筋「実話」である。アキのモデルのひとりである堀江和子さん(平成19年、80歳で死去)が、やむにやまれず打った“捨て身の作戦”。
 『サハリンの韓国人はなぜ帰れなかったのか』(草思社)著者、新井佐和子さんは、この時の堀江さんの思い切った行動がなければ、いまだにサハリン(樺太)に残っていた人々は帰れなかったかもしれない、としている。
 さて、このとき(昭和32年〜34年)、物語のアキと朴大成(パク・デソン)のように、ソ連は、日本人と「日本人の配偶者である朝鮮人」の帰国は許したものの、それ以外の朝鮮人の引き揚げは依然、認めなかった。彼らの多くは出身地の「韓国」への帰国を希望しており、激しく対立する北朝鮮への配慮から、ソ連が頑として出国させなかったからである。
 この問題が“自虐的な日本人”にあおられて、1990年前後になってから本格的に外交問題化してしまう。曰(いわ)く、「日本は戦前から戦中、4万3000人もの朝鮮人樺太に強制連行した上、戦後、朝鮮人だけを置き去りにした。日本政府の責任において故郷へ帰せ」というものである。
 物語の中でも再三、書いてきたが、「強制連行」も「朝鮮人を置き去りにした」こともまったく事実ではない。そして、いまだに語られる「4万3千人」という数字が戦後、“偽造された大ウソ”なのだ。
 戦後、樺太に残された朝鮮人は多く見積もっても約1万5千人。ところが、樺太を実効支配したソ連の政策によって、戦後になり、中央アジア朝鮮族北朝鮮から「新たな朝鮮人」が樺太に移住してくる。
 当然のことながら、戦後やってきた彼らは日本と何の関係もない。
 だが、この問題が外交問題化し、日本が「道義的責任」から支援を余儀なくされると、どういうわけか「彼ら」も支援対象に紛れ込み、『4万3千人』という数字が独り歩きしてしまう。オメデタイのは、日本政府がこれまでに約80億円もの巨額の支援をさせられながら、彼らの出自を精査した気配がないことだ。
 かつて、外務省の担当者が「これぐらいの金額なら…」と放言したことがあった。つまり、この程度の支出で韓国が文句を言わないでくれるのなら良いのではないか、という意味である。日本と縁もゆかりもない朝鮮人に支払われ続けた80億円の血税は“はした金”なのだろうか? これこそ「事なかれ主義」の日本外交の象徴であろう。(『アキとカズ』作者、喜多由浩)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140914-00000510-san-soci

今のところ、産経新聞は個人名を挙げていませんが、「1990年前後になってから本格的に外交問題化」させた「“自虐的な日本人”」が、大沼氏らを指していることは自明です。
大沼保昭サハリン棄民 (中公新書)』)

内容紹介
戦前・戦中、炭坑資源開発のためサハリン(樺太)に渡った労働者の中には強制的・半強制的に募集・連行された韓国・朝鮮人が数万人いた。終戦とともに始った引き揚げ事業はサハリンにも及んだが、その中に帝国臣民として徴用された朝鮮人は含まれていなかった。彼らはソ連統治下のサハリンに残されたのである。冷戦・南北朝鮮対立という国際環境、そして日本の戦後責任への無自覚に抗し、故郷訪問に至るまでの45年の足跡を克明に辿る。

大沼氏自身にとって、サハリン棄民問題はアジア女性基金以上のライフワークのはずです。これを汚されることは、大沼氏自身の半生を否定するようなものですが、大沼氏はそれでも歴史修正主義側に尻尾を振るのでしょうか。
国会招致されて、自己批判を強いられることが望みなのでしょうか。

今、批判すべき相手が誰なのか、見誤らないことを願って止みません。