モラハラは男も女も加害者になりうるので「モラ夫」という表現は不適切だし差別的だと思う

大貫憲介弁護士の下記の記事について。
「お前が悪い」。モラ夫の支配・従属の強要で妻は「夫源病」に追い込まれる<モラ夫バスターな日々4>(2019.03.24)

モラハラの説明としては興味深いのですが、惜しむらくは“夫=加害者、妻=被害者”という固定観念に陥っている点です。

夫婦間あるいは家族内におけるモラハラに関して「夫を家長とする社会的文化的規範」が背景にあるというのは間違ってはいないと思いますが、これらの社会的文化的規範が夫を加害者とする場合もあれば、妻を加害者とする場合もあるという視点が大貫弁護士の視点から抜け落ちています。

夫の方が妻よりも年長であること、主たる稼ぎ手であること、結婚に際し夫の姓を選択すること及びその結果として夫側の親族との結びつきが強くなること、体格的に夫の方が腕力に勝ること、夫の方が生育において暴力に晒される経験が妻よりも多いこと、などは、現在の日本社会では一般的に多い事例と言えます。
こういった要因から、権力関係において夫が妻よりも優位にあることが多いと言えますが、それはあくまでも統計的な数値として比較すればの話であって、個々のケースは様々です。
妻の方が年上であったり、妻の収入の方が多かったり、妻の親族の支援を受ける状態であったり、夫が病弱であったり、妻の方が夫よりも暴力に順応した生育経験を持っていたり、そういうケースは多数派ではないものの、決して無視できるほど少ないわけでもなく、こういったケースでは権力関係において夫は妻より劣位になりえます。

そして「夫を家長とする社会的文化的規範」があるが故に、収入の少なかったり妻側親族の支援を受けていたりしてる上に暴力に慣れていないあるいは暴力的力関係においても妻に対して劣位にある夫は、妻からの抑圧・モラハラに晒された場合でも周囲に助けを求めることができなくなります。
なぜなら、“男なのに家族を養えない”、“尻に敷かれている”など男性が男性らしさを求められるが故の批判を受けるからです。


つまり「夫を家長とする社会的文化的規範」は、夫婦・家庭内でのモラハラを受ける被害者妻に対しては“夫には従うべき”という抑圧として機能し、被害者夫に対しては“男なのに家族を養えない”という抑圧として機能するわけです。

大貫弁護士の論説には、後者の視点が欠けています。

男性優位の社会構造が女性を抑圧するのはもちろんですが、同時に男性をも抑圧するという指摘は、例えばエマ・ワトソンの演説にも見られます。

「男性とはこうあるべきである」「仕事で成功しなければ男じゃない」という社会の考え方が浸透している為に、自信を無くしている男性がとても多くいるのです。つまり、男性も女性と同じようにジェンダーステレオタイプによって苦しんでいるのです。
男性がジェンダーステレオタイプに囚われていることについては、あまり話されることがありません。しかし、男性は確実に「男性とはこうであるべきだ」というステレオタイプに囚われています。彼らがそこから自由になれば、自然と女性も性のステレオタイプから自由になることが出来るのです。

https://logmi.jp/business/articles/23710

ここでいう「「男性とはこうあるべきである」「仕事で成功しなければ男じゃない」という社会の考え方が浸透している為に、自信を無くしている男性」は男性優位の社会構造によって抑圧されている男性であり、「夫を家長とする社会的文化的規範」のもとでも批判に晒されやすい存在であり、容易にモラハラ被害者になりうる存在でもあります。

男性と女性は別物という考えをやめるべき

男性も女性も繊細であって良いのです。男性も女性も強くあって良いのです。男性と女性というジェンダーを2つの全く異なった両極端のものであるという考え方から自由になり、男性と女性をひとつのものとして考えるのです。

https://logmi.jp/business/articles/23710

という考え方を基本とするならば、“夫=加害者、妻=被害者”という固定観念は間違っているとしか言いようが無く、あるのは「夫を家長とする社会的文化的規範」に抑圧される者と抑圧する者ということになります。
「夫を家長とする社会的文化的規範」は確かに夫婦・家庭内でのモラハラの根源ではあるでしょうが、それは必ずしも“夫=加害者、妻=被害者”という図式に集約されるわけではないことには注意が必要です。
抑圧され被害を受けているにもかかわらず、男だからという理由で被害の存在を無視されるのはセカンドレイプとしか言いようがありません。

もちろん、一般的に“夫=加害者、妻=被害者”という図式が多いであろうというだけなら問題はありません。ただ、その一般的な図式に当てはまらない被害者の存在を無視してはいけないという話です。

ちなみに「「モラ夫」という表現 - 誰かの妄想・はてなブログ版」という記事を書いたことがありますが、どうもその懸念が当たってきてるようで残念な感じです。

その他関連記事:「モラハラに関する話、あるいは、モラハラという言葉は被害当事者以外が加害者を非難する文脈で使用されるべきではない件 - 誰かの妄想・はてなブログ版