原発推進論者の論理のすり替え

池田信夫氏らしいと言えば、らしい論ですが・・・

朝日新聞の主張する「東條英機の論理」

アゴラ 8月15日(月)19時20分配信

きょうは8月15日である。この日に、いつも日本人が自問するのは「日本はなぜあんな勝てない戦争に突っ込んだのだろうか」という問いだろう。これにはいろいろな答があるが、一つは東條英機を初めとする陸軍が日本の戦力を過大評価したことである。陸海軍の総力戦研究所が「補給能力は2年程度しかもたない」と報告したのに対して、東條陸相は「日露戦争は勝てると思わなかったが勝った。机上の空論では戦争はわからん」とこれを一蹴した。
こういう客観情勢を無視して「大和魂」さえあれば何とかなると考える主観主義は、日本の伝統らしい。朝日新聞の大野博人氏(オピニオン編集長)は8月7日の記事でこう書いている:脱原発を考えるとき、私たちは同時に二つの問いに向き合っている。

 (1)原発をやめるべきかどうか。
 (2)原発をやめることができるかどうか。

多くの場合、議論はまず(2)に答えることから始まる。原発をやめる場合、再生可能エネルギーには取って代わる力があるか。コストは抑えられるか。 [・・・]これらの問いへの答えが「否」であれば、「やめることはできないから、やめるべきではない」と論を運ぶ。

http://agora-web.jp/archives/1370437.html


要するに脱原発を主張するなら、脱原発ができるということを証明しろ、という主張です。
一見、もっともらしく見えるのが曲者ですね。

しかし、問題設定を次のように変えるとどうでしょうか?

 (1)原発を続けるべきかどうか。
 (2)原発を無事故で続けることができるかどうか。

多くの場合、議論はまず(2)に答えることから始まる。原発を続ける場合、福島第一原発のような事故を起こさずにコントロールする力があるか。廃棄物処理コストは抑えられるか。 [・・・]これらの問いへの答えが「否」であれば、「続けることはできないから、続けるべきではない」と論を運ぶ。

自説に有利なように問題設定しているだけ

何のことはありません。

「(2)原発をやめることができるかどうか。」を一部の隙もなく、完全に証明する事なんて不可能です。ただ、それを言うなら、「(2)原発を無事故で続けることができるかどうか。」を証明することも不可能です。

なので、実際にはある程度の蓋然性があれば、可能と判断するわけです。

個人的には現状、この暑さの8月を乗り切れるなら、脱原発でも電力的にやっていけると思ってます。

でも、菅政権が退陣したら、また原発を続けるんでしょうね。

菅首相には、せめて原発新設禁止法まで成立させて欲しかったです。